読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

あなたのしあわせを願うための口実を頂戴よ

数年前に知り合った女性が結婚した。

結婚したことはネットで知り、当時は簡単に祝辞を述べた。
あれから結構な時間が経っていたが先日ようやく久しぶりに顔をあわせることが出来たので、「ご結婚おめでとうございます。おしあわせに」と改めてお伝えした。
彼女は背筋を伸ばして「しあわせです」と答えてくれた。
聡明な少女だった彼女は、すっかり聡明な女性になっていた。
私はもうすぐ30歳なのにいつまでもあんぽんたんだよ。

私が結婚した数年前のこと。
極力対面で、それが叶わない相手には滅多に使わない電話で、結婚すると伝えて回った人数は10に満たないが誰もが「おしあわせに」と言ってくれた。
結婚するという報告を受けた際の定型文なのだとしても、嬉しく思うと同時に酷くむず痒い気持ちになった。
それこそ当時既に10年来の付き合いで、にっちもさっちも行かない高校時代を共に過ごしたあの子から「おしあわせに」なんて言われたのは初めてのことだったし、今となっては人生の半分程を友達として過ごしている計算になるが、しあわせを願われたのはあれっきりだ。

あの子に向かって私が「おしあわせに」と言ったことはない。
だからと言って、私があの子の不幸を望んでいるかというとそんなことは全くない。
「しあわせになってほしいか、」と問われればそれは勿論のことだが、常日頃あの子のしあわせを願っているのかというとそんなこともない。
あの子は私に「あんた本当に陰湿だよね」と言うし、私はあの子に「あんたこれからどうやって生きていくつもりなの、」と言う。こんなに忌憚ない関係を、私は他に持っていない。

結婚が100パーセント必ず絶大なしあわせを保証してくれるかというとそんなことはない。
ただの手続きだよと、私の周りの「しあわせな結婚」をしている人は口を揃えていう。私もそう思う。

あの人やあの人やあの人に、しあわせになってほしいかというと、それはもちろんその通りだ。
けれど早々、他人のしあわせを願える機会はやってこない。
道端で「あなたのしあわせを願わせてください」と言われたらどうするか、私なら走って逃げる。

なので、冒頭の話に戻るが、「おしあわせに」と伝えてもなんら問題のない機会を貰えたことが、とても嬉しかったのだ。

広告を非表示にする