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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

超歌手の大森靖子ちゃんが民放の連ドラ「カルテット」に1分間くらい出たよ

大森靖子「POSITIVE STRESS」MusicClip - YouTube

残念なことに、1個の空っぽな批判は30個の「大好き」に匹敵する力を持っていると私は思っているので、私がどうして「『カルテット』に大森靖子ちゃんが出演したこと」を好意的に受け止めているのかを、「脊髄反射の全肯定は無視に等しい」の信条に基づき、文字数を稼ぎながら記録する。ストーリーには多少言及する。
もしこれを読んでいる「大森靖子ちゃんは好きだけどカルテット見ようか迷っている」という人がいるのなら、あのドラマはただ単に面白いから今すぐこのページを閉じて1話から見ればいいと思う。

誰にだって好き嫌いはあるので、ドラマのことも大森靖子ちゃんの役柄も、気にくわない人は気にくわないだろう。それは人の勝手だ。私がとやかく言うことは何にもない。
私が「空っぽな批判」と一方的にラベルを付けて対抗したいのは、「見てもいないくせに上っ面の情報で『大森靖子終わったな』『靖子ちゃんにそんな役やらせるなんて』ということ」だ。そんな人がいるのかは知らない。ちょっと見かけて即ミュートした。向こうもこっちのことは知らないだろう。平和的解決だ。

毎週同じ時間に同じ番組を見るのが苦手なので連続ドラマを見ることは数年に1回だが、「カルテット」に大好きな超歌手 大森靖子ちゃんが出るというので、とりあえず放送までに全部見た。5話。

単純に、とても面白かった。
ラブサスペンスとのことだが、ラブよりもサスペンスよりも、家族がテーマだと思った。
第3話、「病気で親が死んでも入院先に行かない」という選択肢があることを、火曜夜10時からの民放で示してくれるとは思わなかった。
世の中には程度の違いこそあれ「家族しんどい」類の人がいるし、また少なくない人数で「血族と仲が悪いなんてありえない」と信じて疑わない人がいる。
前者は祖母の介護問題で家庭崩壊しかけた私の友人で、後者はその友人に「なんでお婆ちゃんが嫌いなの?血が繋がってるのに」と言った別の友人だ。
「親族の冠婚葬祭」の召喚力はあらゆる行事の中でも飛び抜けて強いと思う。私には10年間で2回しか顔を見ていない親戚がいるが、その2回はどちらも冠婚葬祭だったし、次会うのもまた誰かの冠婚葬祭だろう。
にも関わらず、「軽井沢に帰ろう」と言ってくれること。
インターネットや書籍なら「親がしんどいって思ってもいいんだよ」という啓示は転がっているけれど、まさかそれをテレビでやるなんて、とびっくりした。それによって生きやすくなる人が増えればいいと思う。

第1話では、大人になっても夢(=音楽でご飯を食べていく)を追うことがテーマになっている。
主人公たちは30前後で、雑にいうと「音楽で成功できなかった人達」だ。
私はクラシックに明るくないのでその道のプロがどのような世界なのか全く知らないが、成功する人もいればそうでない人も当たり前にいるんだろうな、と想像する。
思い出すのは、中学生の時読んだバンドジャーナル(吹奏楽専門雑誌)の読者からプロへの質問コーナーに、

「プロになりたいのですがどうすればいいですか?」

「音楽をずっと好きで楽しんでいたいのならプロを目指すのはおやめなさい」

と書いてあったことだ。うろ覚えだ。

「カルテット」6話放映後に生出演していたラジオで、「女性シンガーは25歳までに売れないとキツい」「なのに私もう23歳、24歳、25歳」という葛藤があったと大森靖子ちゃんは話していた。
例えば「一流から超一流への困難」というストーリーではなく、「カルテット」で描かれる目を背けたくなるような生々しくそして心当たりのある人がずっと多そうな世界観に、「25歳までにメジャーデビュー出来なかった」と語る大森靖子ちゃんが登場することは、大森靖子ちゃんの1ファンである私には、とても説得力のあることだった。
(だから大森靖子ちゃんが27歳でメジャーデビューしたことは、常識というか慣習というのか古い風習というのか、を打ち破るとても夢があってけれど確かに地に足のついた話だと私は思っている。)

肝心の6話の話。

大森靖子ちゃん演じる「水嶋玲音」は、本人の言葉を借りると「サブカルメンヘラクソビッチ」だ。
(あんな伊達眼鏡をかけている大森さん、見たことないぞ。)
結婚生活を重ねるにつれ、自分の好きなカルチャーを配偶者と共有できないことに寂しさを感じていた折に再開した、映画の話が対等に出来る元カノ、という役どころだ。
映画館で再開して食事に行けば一人暮らしの家に遊びに来るよう誘うし、巨大なセルフレームのアラレちゃん眼鏡だし、ペットの名前は「ギロチン」だし、明大前に住んでいるし、「ギロチン死んじゃった。助けて」とLINEを送ってくる。役満かよ。

大森靖子というミュージシャンに「サブカルメンヘラクソビッチ」的なイメージはあるのかというと、少なくとも「サブカル」と「メンヘラ」はたまに見かける。
「クソビッチ」は結婚してからは見てない。
(このことからアンチは叩いたら100%負けるところは叩かないのだというのがわかる)
常々「しばくぞ」と思っているし、「『✝️大森靖子ちゃん✝️』としてのサブカル」という区分けには腸が煮えくりかえるほど瞬間的に激怒したが、今回の役柄には何の怒りも感じなかった。

むしろ、大森さん、ドラマの世界観に合っててすごいな、と思った。
宮藤官九郎の元カノ」という役のハードルの高さ、しかも「サブカル男の文化的な欲求を満たすレベルの理解」を示す役だ。

「人って価値観が合うか器が大きいかどっちかないときついでしょ」という台詞、大森さん言いそうだな、とすら思った。
想像してみてほしい、これがもし「たまにバンドマンと仲良くしているところをSNSに投稿しては叩かれているモデル」だとしたら。いやそんな人いるのか知らないけど。
ともかく、だから私は、あの役は大森さんがやってくれてとてもよかったと思っているし、あの役を大森さんにあてがった脚本家の坂元裕二さんに感謝したい。
そして私が面白いなと思って先を楽しみにしているドラマにさらなるリアリティを与えてくれた「水嶋玲音」としての大森さんにも感謝したい。

「サブカルメンヘラクソビッチ」と大森靖子ちゃんについてだが、前述したとおり「クソビッチ」という悪口はもう見かけなくなった。
元々根も葉もない中傷だったのだろうが、あんなに幸せな結婚生活を送っている人にそんな言葉をかけても無駄だし負けだ。
「サブカル」を悪口として投げかける人もたくさん見てきたが、大森さんは昔から悪意としての「サブカル」に立ち向かっていたように思う。だからavexに所属することが発表された時は本当に痛快だったし、今では地上波で見ることのできる大森さんに「マイナー」「オタ専」「大衆に理解されない」という趣旨の悪意を含む言葉として「サブカル」を投げつけるのも、もはや滑稽だ。
私は大森靖子ちゃんのことが出会った時から大好きなので「サブカルメンヘラクソビッチ」だと思ったことはないが、そのような言葉を投げる人は少なくない人数見てきた。
その言葉ひとつひとつと戦って、ひとつひとつに勝っていく大森さんが愛おしい。
「メンヘラ」という言葉には大森さん抜きにして思うところが山ほどあるので後日。

あと、放送リアルタイムに使われていた大森さん考案のハッシュタグ「#大森靖子カルテット」。
元々「カルテット」を見ている人には「お邪魔します…」という気持ちだったので、棲みわけ出来たし大森さんが好きな人の感想も辿りやすかったしとてもよかった。
純粋に「カルテット」を楽しみにしている人からしたら「大森さんまだかな〜」というのはノイズになってしまうかもしれないから、こうやって誰も傷つかない方法を提示してくれるのも大森さんだなぁと思った。
そしてこんな風に「私はわかっているよ」というのを長々書いているのはみっともないと自分で思うけれどまあ勘弁してくれよ。

こんなことを書いていたら思い出したが、10年位前にCUTiEかzipperで見かけた「dOPPONAHTの2マンに出かけたモデル」は誰だっただろうか。
私は今でもdOPPOが大好きなのでぜひ聴いてほしいし、あの人とは友達になりたかった。

dOPPO - YouTube

あとどっちかというとCOWPERSが好き。

cowpers - 斜陽 (syayoh) v.02 - YouTube

なんならSPIRAL CHORDがバチバチに好き。

SPIRAL CHORD_distance to substance - YouTube

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