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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

読書の話、他人の感想を読んで「もったいねぇなあ」と思ったこと

字が読めるようになってから中学生の途中まで、よく本を読んでいた。

学校では読んだ本のタイトルを記録する「読書カード」が配られていた。提出義務がなかったため同級生達は早々に紛失していたが、私は同じクラスに友達がいなくて休み時間もずっと本を読んでいたため躍起になって読書カードを埋めていた。
その後、最近「ブラック部活動」と呼ばれているらしい吹奏楽部に途中入部しそれ以降自由になる全ての時間を音楽棟で過ごしたので本を読まなくなってしまった。
ティーンエイジのほぼ全部を過ごした吹奏楽部だったが、音楽への愛も確固たる技術も楽しい思い出も輝かしい成績も愉快な仲間も何も育めなかった。今も私の手元にあるのは1人の友人と2、3年に1回ちびちびと酒を飲む時間だけだが、平凡な高校生が結果的に得られたものとしては上々ではないかと最近は思う。
話が逸れた。

年末、書店で中学生の時大好きだった作家の新刊が平積みされているのを見つけた。

 

パンゲアの零兆遊戯

パンゲアの零兆遊戯

 

 



目次を読んでのたうちまわるような思いがした。これ!これ!これだよね!という興奮、ちなみにまだ読み終わっていない。結構なお値段だったのに。
あの頃程でないにしても、本でも読もうかなと思い、折角なので読んだ本を記録するサービスに登録した。

めっきり読書の習慣が薄れていたので、読んだことのある本を読み返そうと実家の押入れの奥から件の作家の本を自宅に送った。

代表作のシリーズを全部読み返して、いつの間にか出ていた続編を買うぞ、と思いつつ、ひとまず別シリーズの「三部作」と呼ばれるものに手をつけた。3冊しかないからだ。日和っている。

 

ぼくらは虚空に夜を視る (星海社文庫)

ぼくらは虚空に夜を視る (星海社文庫)

 

 

 

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(声高に主張したいが私が所持しているのは新装版でなく徳間版である)

大変満足、という気持ちで読書の記録をつけたら、他の人が書いた感想が目に入ってきた。便利なサービスだな。

いくつか目を通してびっくりした。
「テンプレ」「コテコテ」「厨二」、え、そういうものなの?と思った。
私がこれを新刊として購入した当時は、「テンプレ」とは呼ばれていなかった。他にそんな作品がなかったからだ。
また、「所謂セカイ系」という評があった。
これまた当時は「セカイ系」とは呼ばれていなかった。その言葉がまだなかったからだ。
そもそも私は「セカイ系」という言葉を知らなかった。

簡単に調べた印象では、あまり褒め言葉ではないようだ。
「ごくごく身近な問題をまるで世界の全てであるかのように振る舞う様」もしくは「世界全体の問題を自分の身近なものだけで表現する様」と解釈したがあっているのだろうか?

この2つ目の定義に、ナイトウォッチの第一部が当てはまるか当てはまらないかでいうと、当てはまるのかも知れない。
「人類を守る」主人公は、人類を守ることを近所のラーメン屋さんを守ることと重ね合わせるし、幼馴染の女の子にはひっぱたかれる。
この、「セカイ系」がもし否定的な言葉であるとして、その言葉に引っ張られてこの本を「どうせそういうものでしょう」と手に取らなかったり、読んだものの「やっぱりテンプレだった」と思うことがあるのだろうな、と想像し、そしてそれがとても怖くなった。

もしかしたら発売当初も「テンプレ」なんて言われていたのが知れない。
ただあの頃はこんなに気軽に他人の感想を目にすることもなかったので、私の目に触れなかっただけかも知れない。
それより恐ろしいのは、「新しく生まれた言葉」によって「今まであったもの」の解釈の幅が、あまり肯定的でなく、不自由になっているのでは、と思ったことだ。

例えば「ゆめかわ」も「メンヘラ」も「病み」も、いつまでも私の手に馴染まない言葉だが、自分が何かを「ああ、ゆめかわ系ね、」と切り捨ててはいないだろうか、と怖くなった。

ラベリング理論、先入観、カテゴライズ、クラスタ差別、平和な分別、地雷、性癖、なんでもいいけれど、もっとフラットに、もっと自由に、いろんなものを消費したいなと思った。

まずは、人の感想は自分が対象を消費するまであまり見ないようにしようという気持ちを新たにした。

(こんなもん書いてる暇があったら本の1冊でも読めよ)

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