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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

ワタナベアヲヰちゃんのお葬式

今日はアヲヰちゃんのお葬式だった。

‪「大森靖子が「絶対女の子がいいな」って言ったから」っていうだけの理由で3年くらいネカマやってた。900人くらいフォロワーがいた。‬ - 笑わない膝
ワタナベくんと、アオイちゃんと、アヲヰちゃんと、あとワタナベくんとの思い出を少し綴ろうと思う。

私がワタナベくんと出会ったのは在り来たりにtwitterで、2013年秋のことだった。
当時私は朝から晩まで大森さんについてtwitterに垂れ流していた。
誰とも大森さんの話をしたくないのに大森さんについて考えたことを放出したくてたまらず、twitterに書き散らかしていた。それは今もあまり変わらない。
フォローもろくに返さずリプライをくれる人の大半を無視していたころ、ワタナベくんがふと私をフォローした。
フォローしたのは本当に気まぐれだった。
おそらく私や大森さんと同年代の、「おっさん」でもなく「女の子」でもない彼が珍しく思えて、「男の人」は何を考えているのかな、と思って彼の言動を眺めることにした。

ある日、「ワタナベアオイ」というアカウントにフォローされた。所謂、初代「アオイちゃん」。
彼から何か言われたわけではないが、なんとなく、これはワタナベくんなのかな、と思った。根拠は覚えていない。
誰とも会わない「アオイちゃん」がなぜ私と会う気になったのかは今もわからないが、在り来たりにDMをして、在り来たりにライブ会場に行く日の服装や髪型の情報を交換して、在り来たりに終演後の会場で挨拶を交わし、在り来たりに一緒に物販に並んで、談笑しながら駅まで一緒に歩いた。

こうして「アオイちゃん」と出会った私は、「ワタナベくん」としての彼と、「アオイちゃん」としての彼女と交流を持つことになった。
2014年になったばかりの、ピンク街のミニシアターでのことだった。

ワタナベくんも述べていたが、あの頃は大森さんのファンは、多くの男性、大森さんが言うところの「おっさん」と、少数の可愛い女の子で構成されていた。

私は自分がそのどちらにも属することができないことを消化できず、ますます攻撃性を強めていた。今も強まる一方だ。
それは顔や体が可愛くないという単純な話ではなく、「可愛くなりたい」と努力できる土俵に上がることもしない自分を恥じる気持ちや、「女の子の可愛い」を簡単に消費しようとする社会への怒りや、長年溜め込んだ妬みや嫉みや、概ねドロドロしたもので構成された柵によってだった。

「すべての女の子を肯定する」、というコンセプト。
兼ねてから、自分が女であることによって、どんなに夢中になっても私にはロックバンドのことが理解できないのだという、風潮なのか妄想なのかにずっと囚われていた。
大森さんを好きになって初めて、「想定の範囲」に入れたことがとても嬉しかった。
それと同時に、私が私であることを、泣いたり血を流したりしながら私が私として生きていることを、簡単に「女の子だな」と外側から定義する「おっさん」(ここでいうおっさんは特定の個人であり、これを読んでいる人には該当しないので「自分のことか」などと思わなくていい)や、大森さんが「女の子」と提示したからと言って、自分がその当事者から逃れていると免罪符を持っているかのように振る舞う「おっさん」を憎らしく思っていた。

ワタナベくんは男性だった。
彼からはホモソーシャルの臭いも体育会系の臭いもしないが、少なくとも私から見た彼は男性だった。
けれどインターネットのアオイちゃんはもうアオイちゃんでしかなく、それは彼が「女の子」としての立場で大森さんの創造物を受け取るためにはどうしたらいいのか、と試行錯誤した過程であり、泥臭い言い方をすると努力の塊だった。
それは、「女の子」という性別、可愛いのフィールドからすれは大きなアドバンテージを得ていたはずなのにそれをドブに捨てたように生きる私とは全く別の次元で行われる、「可愛い」への肉薄だった。
「可愛い」声で歌われる大森さんのカバー、「可愛い」声で配信された酔いどれのツイキャス、「可愛い」自撮り、すべては彼の手で行われたことだ。

ある日「アオイちゃん」がふとインターネットからいなくなった。
細々とワタナベくんとの交流はつづき、たまに自撮り、「心・技・体」で言うところの「体」(我々は彼女を「本体ちゃん」と呼んでいた)の写真を加工してインターネットに放流して過ごし、暫くの間を空けて「ワタナベアヲヰ」ちゃんがインターネットに帰ってきた。ご存知、通称二代目「アヲヰ」ちゃん。
彼女が大森さんについての長文をインターネットに放出し始めた頃には、私はアヲヰちゃんが憎くてたまらなかった。
「私が確かにそう思っていたはずなのに、上手く言語ができなかった大森さんへの気持ちを、私より遥かな努力を積み重ねた上で、インターネットに提示されること」に耐え切れなかった。

2015年の2月、梅田のライブハウスで個人企画を開催することにした。
私が何年も何年もドロドロした好きを抱いているバンドマンに出演していただいた。
開催に際し、ワタナベくんの電話番号もメールアドレスも知っていたが、アヲヰちゃんのtwitterアカウントにDMをした。「個人企画を開催するから、そこで本を売らないか」と。
アヲヰちゃんは快諾してくれ、私は表紙を作らせて貰った。
赤いレースで編まれたドイリー、イメージは「血だまり」。

販売促進を兼ねて、「お前が憎い」という文章を綴り、送りつけた。
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ワタナベアヲヰちゃんの本の話

ワタナベアヲヰ著「ことば地獄」が本日発売になる。

本でも少しだけ触れられているが、私は「渡邉葵さん」を知っている。
「渡邉葵さん」とは、インターネットでしか会えないヒミツガール「ワタナベアヲヰちゃん」(勿論トップシークレット)とニアリーイコールである実在の女性を指す。

なお、この文書では本の内容に全く触れない。
これは私と「渡邉葵さん」あるいは「ワタナベアヲヰ」ちゃんの話だ。

私は「渡邉葵さん」を憎からず思っているが、「ワタナベアヲヰちゃん」が憎くてたまらなくなるときがある。

「渡邉葵さん」は、たまに酔っ払うものの往々にして大人しく、私が騒ぎ立てているのを面白いのか詰まらないのかさっぱりわからない様子で聞いている。
酷く不安を煽るその様に「本当は私のことが嫌いなのではないか」と尋ねる度、「そんなことないですよ」とあまり表情を変えることなく答えてくれる程度の優しさを持ち合わせた人だ。

彼女の世界は完璧なので、いく度となく同じ場所にいたはずの大森さんの会場に置いて私の存在は全くもって黙殺されている。気づかないときすらある。
当然のことながら、私は彼女と大森さんの完璧な二人だけの世界の住人ではないからだ。

「ことば地獄」の宣伝の一環として、先日私は以下のように述べている。

アヲヰちゃんの書く文章は、私がうまく言葉に出来なかったけど私が思っていたはずのことが過不足なく美しく言葉にされているので、アヲヰちゃんが長文を公開し始める前に知り合っていなかったら多分私は嫉妬に狂ってアヲヰちゃんのことを大嫌いになっていたと思う

はっきり言おう。
嫉妬に狂って憎いのだ。

「私が確かに思っていた筈だと、形にされたら理解できるのに、私の意識からは明示的に浮かび上がってこなかった思想」が、彼女の口(あるいはブラインドタッチ)(あるいはフリック入力)からは洪水のように紡がれるのだ。
同じ経験がある人はいるだろうか?
「頭の中でもやもやしていたものが、すっきりことばにまとまることで自分の中でも腑に落ちる」喜びと、
「自分のことばで、自分の頭で考えてたどり着きたかったのにどうがんばってもたどり着けない最適解を(恐らくは私よりも思考による努力を積み重ねた上で)提示される」悔しさを同時に与えられること。

ネットは全部嘘ばっかりだ、会って話すことは意外と本当のことばかりなのに、とは(私とアヲヰちゃんを繋ぐ唯一にして絶対の)(しかし共有されることはなくそれは2組の1体1の集合体である)大森靖子さんのことばである。

私も「アヲヰちゃん」と話がしたい。「アヲヰちゃん」と会ってみたい。
けれどそれはアヲヰちゃんの完璧な世界を壊すことになる。
(さらに、私と大森さんの2人だけの世界も壊れてしまう。)(私と大森さんの2人だけの妄想の世界では、私と大森さんは高校の同級生だ)(この話はまたにしよう)

ワタナベアヲヰ著「ことば地獄」は、そんなどうにもならない気持ちの唯一の解決策かもしれない。

ワタナベアヲヰちゃんには会えない。
それは揺るぎない事実だ。
しかしながら「ことば地獄」は、アヲヰちゃん自らがしたため、製本し、(私の手を経由することが大変に恐縮だが)販売、あるいは通販によって、
インターネットを介さずにあなたのところにアヲヰちゃんのことばが届くのだ。

ワタナベアヲヰ著「ことば地獄」、
あなたのご購入をお待ちしております。
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アヲヰちゃんはとても喜んでくれた。
「憎い憎い自分自身について、はっきり他者から『憎い』と言われたこと」を随分喜んでくれたのをよく覚えている。
「ことば地獄」を沢山の人に手に取っていただけたこと、大変に嬉しく思う。

私とアヲヰちゃんの、公にできる思い出はこれくらいだ。

今日はアヲヰちゃんのお葬式だった。
アカウントはいつの間にか消えていた。

大森さんのライブ会場には、今では女の子が溢れている。
「少女性の守護神」として、「好きなものを好きという勇気」を肯定してくれる存在として、ファッション誌の表紙になるようなこのご時世、本人が言うとおり「アヲヰちゃん」はその役目を終えたのだろう。

アヲヰちゃんにもう会えないことが、とても寂しい。

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