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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

ロックンロール・ホモソーシャルVS私

ちょっと前に、元々結構普通に好きなバンドマンが結構普通にtwitterで燃えていた。

どのくらい燃えていたかというと、そのバンドを全然知らないたくさんの人がインターネットで激怒していたのを見たくらいだ。

終わった炎上なんて燃えカスだしもうすっかり忘れている人だらけだと思うけど、私はこのことを何日も引きずって消化できないので、書く。

ことの発端は、ざっくり言うと「全国ツアーの地方公演なのにいつも最前に同じ人がいるのはやめてくれ、と特定の人にライブ中のMCで言ったこと」だ。
この件が持っている課題点と、それについて私が思ったことを、細かくわけて考える。

まず一つ目、全国ツアーでその土地や周辺以外の人が来ること。
誰しも生活があるので、自分の家の1番近くに来る公演の日に予定があることも、だから行ける日に行くことも、仕方ないと思う。
でもそれは私がそれなりに自由の利くお金を持った大人だからそう思うだけで、私が高校生の頃はライブのために最寄りの地方中枢都市より遠くに行くなんて考えられなかったし、自分の生活している土地に大好きなロックバンドが来てくれることの喜びは何事にも変えがたい。
細美さんが「いつかじいさんになったら海の見える街に住みたいと考えたことがあるけど、それは長崎でもいいかもなって今日思った」と言っていたこと、細美さんは忘れたかも知れないけれど私は覚えている。もう10年も前の話だ。
そういうわけで、感傷的な話をすると、地元の人がたくさん来てくれたらいいなと思う。
けれど、例えば「この県に住んでいる人限定」なんて公演でもない限り、どこに住んでいる人が来たってルール違反ではない。
だから、「地元の人が来てくれたらいいなぁ」とは思う、けど、咎められることはなんにもないよな、と思う。
地元のラジオや情報誌で行われる先行発売は、おおっぴらに言えないけど地元の人に来て欲しいんだよ、ということなのかなと思うが、今はお金さえ払えば全国どこのラジオだって聞けるしインターネットで知人を作ればその土地だけの情報だって簡単に手に入るのでどうにもならない。

続いて、全国ツアーを追っかけること、全通のこと。
好きなものをたくさん見たいというのは、ごく普通のことだと思う。私だって、全国ツアーの半分に行ったこともある。
ただ、MONOEYESのチケットはバカみたいに取れない。注意されたというファンはツアーの殆どに出向いていたらしいが、どうやればそんなにMONOEYESのチケットが取れるのか、本当に教えて欲しい。
私はもう諦めていて、フェスで見れればいいかな…と思っている。嘗てはチケットが取れなくてロッピーの前で泣いていたというのに、私はすっかり駄目な大人になってしまった。
チケットを手に入れる努力をやめた私がうらやむのはお門違いだと思うので今のツアーに関してはなんとも思わないが、私が手を尽くしても一枚もチケットが手に入らなかった過去のツアーにもきっと複数回行っていた人がいるのかと思うと悲しくはなる。
でも、「ツアーのうち1人1箇所のみ入場可能です」なんて公演でもないのなら、やっぱり咎められることはないよな、と思う。

1番前で見るのがいいのか悪いのか、怪我しそうで心配だなんて、もし自分の努力でよい整理番号を手に入れたのだとしたらそんなもん口出すなよ、と、これが戸高さんでなくてMONOEYESでなかったら私もそう思った。
事実は知らないが、仮に、件の人が元々戸高さんが長年メンバーであるART-SCHOOLのファンで、比較的最近結成されたMONOEYESのライブにも行くようになったのだとして、そして最前にいるのなら、それは、私だって心配だ。
それでなくてもMONOEYESの最前なんて、「最前に来たのは自己責任」で済む程度ではないくらい危ないと私は思う。ライブハウスはスタンディングのコンサート会場より怪我をする確率が高いとしても、ピンキリだ。そして、MONOEYESはピンの方だ。
件の人がどんな人か私は全く知らないが、もしその人が「ART-SCHOOLのライブにいそうな人」だとして、ART-SCHOOLとはフロアの様子、年齢層、男女比、異なるところが多すぎるし、その人がMONOEYESの最前にいるんだとしたら、憶測でしかないが、ただただ心配だ。

ともかく、地方であったことにしろ、複数回通うことにしろ、思うところが全くないわけではないが、ルール違反でもないし公の場で咎められるようなことはないだろう、と私は思う。
ルールでなければ何をしてもいいわけでもないが、この2点については「これちょっとなあ」と思う人は少なくないのかと、私が見かけた範囲では思う。
然るべきと思うか、何もそこまでと思うか、どこまで許容するかは人によるだろう。
が、これだけで済めばこの話は炎上なんかしない。
ロックンロール・ホモソーシャルの話を始める。
ここまでの話と違い、ここから先は私の空想と思想と逆恨みで構成された話だ。

この話がこんなに燃えたのは、件のファンに否定的な人には「顔ばっか見やがって女め」という気持ちが、戸高さんの側に否定的な人には「そういう好意を否定していること」への怒りがあったのだろうと、勝手に想像している。
その場にいなかった私が事実だと思っていいのは当事者だと私が確認できる人の言うことだけなので今回は戸高さんのtwitterだが、そこに性別への言及はなかったにも関わらず、twitterで検索をかけたら、否定的な意見には女性に対する蔑称が多く見受けられた。
最前でかぶりつくギター少年を想定している人は誰もいなかった。もしこれが「いつも最前にいるギター小僧に、」なんて発言だったら、今と全く同じ状況ではないだろうな、と思う。

「そういう好意を否定していること」について。
初めて行ったのは誰のライブだっただろうか。
私がライブハウスに通い始めたころ、何より好きだったのはELLEGARDENで、私にとってライブハウスのルールは細美さんの言うことだった。
俺たちは4人で一つなんだから黄色い声で名前を呼ぶなと言われて「そうかライブハウスとはそういうところなのか」と思った。
(安全性から当然だと思うが)ハイヒールで来ている奴は帰れ、で、スニーカーにジーンズにバンドTシャツが正装だった。
音楽だけに向き合うのが正しくて、それ以外の好意は全部不純だと思っていた。
特に黄色い声が1番のタブーで、女であることを排除して初めて「私はこのバンドが好きだ」と言うことのできる立場になれるのだと思っていた。
今にして、あれはホモソーシャルだったんだろうな、と思う。女であることを排除したら混ぜてもらえる輪だったので、完全に閉鎖的だったとは思わないが、女であることを表には出してはならないと思っていた。
あの頃の私は同じく黄色い声を嫌悪していたし、今もそう思わないわけではない。
ただ、あの頃は「黄色い好意は全部間違い」と思っていたが、今は「向けても良い好意の種類が違う」と思っている。
男性アイドルに「かっこいい」と言っても咎められることはないだろう。バンドにだって、「かっこいい」と言われることを、想定して、許容して、必要として、売り方の一つとしている人たちだっているだろう。
ただ私が好きだったのはそういうのを許容しない人たちで、その思想を是としている人たちが付いてきている世界にいた。
「かっこいい」と、そういう好意を向けられることを、想定し、許容し、是とし、なんならそれを求めているような人を応援している人からしたら、ステージの上に立つ人が今回のような発言をしたのは、耐え難いことだろうと想像する。
「元々、そういうのを許容するような人たちじゃないと思うよ」と、すごく怒っている人に伝えてみたいと思ったが、生憎私の知人にそんな人はいなかった。

ここまで長々書いたが、私が一番憤っているのは「そういう好意だけを想定していること」についてだ。
「黄色い声援は全部間違い」と思っていた頃、私がそのような好意を持っているかいないかに関わらず、「お前は女なのか、どうせ顔とか、音楽ではない部分が好きなんだろう」と値踏みをされることを当然起きることと想定し、とにかく女であることを排除するのに躍起になっていた。
女であることを理由に完全に門前払いされるのではないから酷く排他的だとは今も思わないが、ただ私は好きなだけなのに、不純だと、誰に対してなのかわからないが、不純だと思われないように細心の注意を払っていた。

友達の、バンドをやっていた女の子が、「バンドの人って、女の子が『よかったです!楽しかったです!』って言っても全然聞いてくれないけど、機材のこと聞くとすごい喋ってくれるよね」と言っていた。
その、全然話を聞かれなかったという子と、機材のことを聞いた私の友達の好意にどんな違いがあったのかは誰にもわからないが、「女の洒落臭い好意に耳を傾けはしないが、機材のことを聞いてくる奴はちゃんと音楽を聴いているんだろう」というフィルターをかけられたような気がした。割と悲しかった。

そもそもの発端である話について私は事実を知らないし知る方法もないし、これ以上詳しく知りたいこともなにもない。
ただ、この騒動から、「女であること」と「ロックバンドが、その音楽が好きだということ」が両立できなくて、結構辛かったな、という気持ちを思い出したし、あれは勘違いじゃなかったし今も世の中にあるんだな、と思った。

今は、自分と同い年の超歌手の女性が大好きで大好きで仕方がないが、ただ私が私のまま、彼女を好きでいることが、そのまま許容されている(ように思う)ことが、とても息のしやすいことだと、この騒動を通じて気がついた。
好きなものくらい、ただ好きでいればいいのにと、私は昔の私に教えてあげたいし、今それができていることを嬉しく思う。

 

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