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白昼夢、或いは全部勘違い

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新⚫️zによせて

大森靖子ちゃんのアルバム「TOKYO BLACK HOLE」のリリースツアー「TOKYO BLACK HOLE TOUR」、のツアーメンバーである新⚫️z(しんぶらっくほーるず)の話。

大森靖子ちゃんのバックバンド」について、順を追って話す。
大森靖子&THEピンクトカレフは「大森靖子」ではなく「大森靖子&THEピンクトカレフ」というバンドなので、私にとってはバックバンドとは意味合いが異なる。
バックバンドとして私が最初に認識したのは、アルバム「絶対少女」のリリースツアーである「絶対少女が夢見るBBaツアー14'」(2014.2-2014.3)のファイナル「最終公演」でのバンドだ。

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アルバムのレコーディングメンバーによるライブ、このニュースを見たとき「まじかよ」と思った。「え?大森さん見に行くとこの人たち見れんの?まじで?」と驚いたのを覚えている。
「つまらん夜はもうやめた」では全編たった1人でステージに立っていた大森さんが、「まじで?」と思うような面子を従えて披露されたライブは、それは素晴らしいものだった。
けど、私は「でもこれ大森さんじゃなくてもいいじゃん」と思ってしまった。
「弾き語りは大森さんじゃないとダメだけど、『すごい大人に囲まれてライブをする女の子』なら大森さんじゃなくてもほかにもいるじゃん」と思った。失礼な話だ。
前回のマホーツアー(2013.4-2013.5)は全て弾き語り(大阪は公開インタビューをしたり映画上映をしたりしていた)、BBaツアーは、私が行ったところでは、1人で弾き語り(三朝)、2人で弾き語り(神戸)、2人+ドラム(京都)だったので、「すごいバンドメンバーに囲まれた大森さん」を初めて見ることへの戸惑いもあったのだと思う。
後に(まだ解散していなかった)ピンクトカレフと区別するために「絶対少女バンド」とファンの間で呼ばれるこの編成は流動的で、特にキーボードとギターは入れ替わりが多かった。
アルバム「洗脳」の「爆裂!ナナちゃんとイくラブラブ洗脳ツアー」(2015.3-2015.4)では公演によって絶対少女バンド編成だったり弾き語りだったりした。

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私はこのツアーで絶対少女バンドの圧倒的な「J-POP感」がとても好きになった。
特に印象深いのは、前日の不審者情報のニュースをモチーフにした新曲「春の公園」が福岡公演(2015.4.11 弾き語り)で披露され、「大森さんが言ってた、『芸術の中で音楽が一番速い』って、こういうことなんだろうな」と思っていたら、翌週の大阪公演(2015.4.16 バンド)では「春の公園」にキーボードが入っており、尚且つそこからの繋ぎで「焼肉デート」に突入したことだ。
ツアーの前に発表されたピンクトカレフの解散について、大森さんは「バンドの成長待てない」と言っていた。
前日のニュースを翌日に音楽にする圧倒的なスピード感、に合わせることのできるバックバンド、そんなの最強じゃん、と思った。
私はずっと、「いかにもインディーで馬鹿」なバンドばかりが好きだった。でも、大森さんにはもっともっともっともっとたくさんの人に届いて欲しいと、初めて大森さんを見た日からそう思っている。「春の公園」から「焼肉デート」を観て、たくさんの人に届くための速さを損なわずに肉付けする力を、大森さんは手に入れたんだ、と思った。

ただ、絶対少女バンドは最強だったけど、大森さんが「率いる」という感じがどうしてもしなくて、「これがJ-POPなのかな」なんて寂しいことを勝手に考えたりしていた。
大森さんの産休開け後、数回見た後、夏フェスにも余り行かなかったのもあると思う。なにが起きているのか知らないまま、勝手に不安だけを膨らませていた。

そんな折、アルバム「TOKYO BLACK HOLE 」のツアー「TOKYO BLACK HOLE TOUR」(2016.10-2016.11)のメンバーが発表された。
気が動転した私はtwitterに母音だけのツイートを垂れ流す、仲の良い人にスタンプを連打するなどしていたが、とにかく嬉しい気持ちになった。
「いかにもインディーで馬鹿」でもなく、「最高で当然」でもなく、「大森さんと一緒に、最高を更新してくれる人たち」なのではと、ワクワクした。

ピンクトカレフやHOMMヨと共演し、大森さんとドムスタの頃から一緒にコピバンしていた股下86のえらさん、絶対少女バンドで唯一大森さんと同年代だったH Mountainsの畠山さん、単に私が好きなきのこ帝国のあーちゃん(大森さんとどういう知り合いなのかよく知らない)、ドムスタとか、アルバムのアレンジでインディーの頃から一緒にやっていたオワリカラのカメダさん、に、最近の「サクライ大森ペア」という安心感を醸造していたサクライさんと、多分現代日本バンド界最強のドラマーの1人だと思われるピエールさん(ある日突然簡単に「ピ様〜」って言うようになった人たちのこと、よくそんなこと気軽に言えるよなって思ってるけどそうやって人を勝手に簡単に神様にして他人を軽蔑する私もたいがい身勝手だ)。

初めて新⚫️zを観たのは結局、ツアー残り3公演となったOSAKA⚫️BIG CAT、心斎橋クアトロ亡き今、関西で一番キャリアのアニバーサリー感が強いのはビッキャだと思う、そんな会場でのことだった。

「これが大森靖子だし、新⚫️zの音なんだ」と思った。
私がバンド編成の大森さんにどうしても求めてしまうバンド感と、大森さんにこうあって欲しいと望んでしまう、あなたとあなたとあなたと、あとあの日の田舎で泣いていた私に届くための開けたJ-POP感、その二つが鳴っていた。
弾き語りのPINKを経てサイケなSEののち、ミッドナイト清純異性交遊、ドラムの後に即Aメロが始まるのはピントカと同じだけど、弾き語りともポイドル(大森靖子と来来来チーム)ともピントカとも絶対少女バンドとも、おそらく異なるピッチだったと思う。予想外の音程に少しびっくりした。
そこで、「ああ、これが新⚫️zなのか」と思った。

バンドが好きだ。1+1を2にするのではなく、3にも4にもするために集まった集団が鳴らす音が好きだ。ひとりひとりが匿名でなく、けれど血肉の通ったひとつの生き物のようなバンドを私はいつも好きになった。
大森靖子」はバンドの名前ではなく、大森さんが「大森靖子」の看板を背負った大森さんの音楽だ。あくまでも「大森靖子」は「大森靖子」でなくてはならないと思っている。
そして、新⚫️zは、「大森靖子」でありながら、大森さんを含めた血肉の通ったひとつの生き物に思えた。

えらさんはセーラー服、サクライさんは学ラン、カメダさんは私立高校っぽい水色のシャツにベストで、大森さんはピンクメトセラの衣装、あとの3人はツアーTシャツだった。
そのチグハグさが放課後に他校生と組んだバンドのような、あるいは文化祭や体育祭の準備のような学校っぽさを作っていた。
キンコンカンコンと鳴らされるチャイムと入れ替わりになるノイズ、号令につられて挨拶をするお客さん。
学校にはあまりいい思い出がないが、様々な人がただ同年代というだけで集められたひとつの集団を彷彿とさせる様には懐かしさを覚えた。
中盤の「オリオン座」、大人数で一緒に歌を歌うという、大人になってからはおおよそ経験することのない時間はとても柔らかくて優しかった。
人付き合いが悪くすぐ他人を嫌いになる私にしては、たくさんの人の中にその一部としてただ居るということができたように思う。
あのとき、大森さんが指揮で、カメダさんが伴奏で、私はただのクラスメイトだった。

メンバーの中に、私が大森さんを観た回数よりも遥かにたくさんライブを見たことのある人がいる。100から先は数えていない。
私が知っている彼の音は鳴っていなかった。
それは大森さんのために鳴らされる音だと思った。
けれど、たまにハッとするほど知っている音が聴こえるときがあった。
大森さんの音楽と、たまに見え隠れする彼の音、大森さんの中に溶かされたように、私が執着して止まない音が聴こえることがとにかく嬉しかった。

最後の曲中、メンバー紹介とソロがあった。
それまでずっとニコニコしていたあーちゃんの地獄のような凶悪な音と、振り乱した髪からその日初めて見えた内側の金髪に、「大森靖子のバックバンド」ではなく、あーちゃん本人がはっきり見えたように思った。
大森靖子」を彩る音と、その人そのものをむき出したような音が交差すること、そのとき大森さんが隣に立っていること、とても美しいと思った。

新⚫️zが大森靖子でよかったし、大森靖子が新⚫️zでよかった。

残されたTOKYO⚫️公演に私は行かないが、もしこれを、行くのを迷っている人が読んでいるのなら是非とも行って欲しいし、もしこれを大森さんが読んでいるのなら追加公演をして欲しい。

あと、ピンクメトセラサイリウムを振る畠山さんは交通整理のバイトの兄ちゃんみたいだった。

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