読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

2000年代の文化VS私、或いは思春期の遠回りな肯定とコンテンツの再認識

歌詞画像、または、歌詞画、と呼ばれるあれ。

歌詞画像」のほうがメジャーなのだろうか?私は「歌詞画」と呼んでいたあれの話。
2016/8/19に大森靖子ちゃんの歌詞画像ブームが起きた。発端は縷縷夢兎の東佳苗さんだ。
とにかく「ゼロ年代っぽさ」を意識された瞬時に量産される画像を見るにつけ思い出されるあの頃の記憶とその時思ったことを、あの頃の当事者の端くれとして書き記す。
大森靖子ちゃんの話は然程しないから、今これを「大森靖子ちゃんのファンの人が書いた文章」としか思っていない人は読み進めなくてもよいと思う。知人友人はごきげんよう、親族は正月に会おうぜ。
(私は「大森靖子ちゃんのファン」という匿名の存在では無いし、どのような生き物なのかを知らない通りすがりの人に求められるままの愛想やレスポンスを持ち合わせていない。)

ゼロ年代」とはなんだ。
1987年生まれである大森靖子ちゃんは、2000年に中学校、2003年に高校、2006年に大学へ、すなわち浪人も留年も休学もしなければ2010年に新卒で入社する世代である。
その2000年から2009年まで、下二桁の1つ目が「0」の10年間、それが「ゼロ年代」だ。
「ゼロ世代」というと大変な違いなので気をつけたい。私はDODDODが好きだ。

まずはその前段、90年代の話から始めよう。
手元にある「an・an」2003号(お察し)によると、90年代はプロデューサーの時代、「そんなにガツガツしてない私がある日突然見惚れられて一躍スターに!?」が憧れの道だったらしい。
「自分磨き」でなく「自分探し」、きっかけはあくまでも受身で、中身はあまり作りこまずに、でも輝く、要求されるものが多すぎやしないか。
「渋谷109」「コギャル」「アムラー」、田舎で少年ジャンプの発売日(火曜日)を生き甲斐にしていた小学生の私でも知っているフレーズだ。
SPEEDが解散したのは2000年3月。最後のMステは「my graduation」だったと記憶している。
「カリスマ」が流行語になったのも1999年だ。
テレビから流れる情報によって、なんとなく存在しているようなでも見たことない架空の都市、東京のイメージを膨らませて、私はゼロ年代を迎えた。
(「るろうに剣心」が終わったので少年ジャンプを買うのはやめた。)

2000年頃から一般家庭にもインターネットが普及した。インターネットに繋がらないパソコンで小説を書いていた同級生もいた。
まだ従量課金制だったため我が家では使用時間の厳しい制限があり、正の字を書きながらページをクリックするよう義務付けられていたが、今思うとデータ量はページごとに違うのでなんら意味はない。
そんな、リビングの隅パソコンで見るものだったインターネットが手の中にやってきたのは、高校に入学し同級生がこぞって携帯電話を買い与えられた時だ。私の愛機はdocomoP251iS、今見ても中々秀逸なデザインだと思う。

入学直前の春休みに友達の家でseventeenの「可愛いメアド特集」を読みながら考えたメールアドレス、それを電話番号と一緒に手書きして渡したり受け取って手打ちしたりしたこと、通話料がかかり過ぎて携帯を親に取り上げられたあの子、月末に決められたパケット数を超過すると父親の携帯からメールしてきたあの子、思い出しただけで具合が悪くなる。
私は「好きな人のメールアドレスを空で覚え、直接入力してもエラーで返ってこないようにメールを送る」という1人遊びにはまっていた。
数年前、とうの昔に消したはずのアドレスで検索したら彼のTwitterアカウントを見つけてしまったことをここで懺悔したい。発想の引き出しがなさすぎやしないか。
「0w0」や「vvv」が散りばめられた文字列を「派手なメアド」と評する感性も「ダサい(スクールカーストが低い)やつが調子乗ったメアドにすんなよ」と主張する上下関係も失って久しい。
荒んだ田舎の中学校からそれなりに素行の良い田舎の自称進学校に入学し、なおかつ携帯を手に入れた私の元に届いたもの、それが「悪意のない」チェーンメールだ。
中学時代にPC宛で何度か受け取った「悪意のある」チェーンメールは、要するに不幸の手紙だ。「何人に送らないと呪われます」といった文言を、自分より強い立場にいる者にはまさか送りつけないだろう。
「悪意のない」チェーンメール」には不幸の手紙よろしく「何人に送ると幸せに」と記載されてはいるが、「ずっと友達でいようね」という文章と共に、ディズニーのイラストとギャルらしい癖字でHYの歌詞が書かれた画像などが添えられているのが常だった。
(やっとここから歌詞画像の話が始まる。)

なぜこんなにも画像の詳細を記憶しているのかというと、私がこれを待受画像にしていたからだ。待受画像、つまりはホーム画面ないしはロック画面。
別にその歌が好きだったわけでもディズニーが好きだったわけでもない。
ただ、それらしいもの、女子高生っぽいもの、友達に見られてもなんとも思われないもの、そんな待受画像に「しなければならない」という義務感からだった。
(今は大森さんをロック画面にしている。
取引先の人がたまに怪訝な顔でそれを見ている。)
思い入れのないアーティストの歌詞画像は私にとって、「自分は空気を読んでいますよ、周りに溶け込む意思がありますよ」と伝える手形のようなものだった。頑張ったな。
あのチェーンメールを送り合っていたうちの何人かが、本当にあの画像を好んでいたかはわからないが、今にして思えばそもそも、好きや嫌いというステージになかったのだろう。共用するおもちゃ、可視化される共同体の証拠、未だに「好き・嫌い」へのこだわりが強い私には心底共感することが難しい、関係を構築するツールとしての役割を持たされたコンテンツだ。
(「好きでもないのに打算で待受にするなんて、HYの人に申し訳ない」と本気で思っていたあの頃の私はどう考えても考えすぎで滑稽であるが、今の私くらいはそれを否定しないであげる。)

なんとか周りに溶け込みながら、それでも少しだけ「好き・嫌い」の話ができる友達を手に入れた私の携帯へ次に手に届いた画像は、バンドのアーティスト写真だった。
ピンク色の金魚の着せ替えカバーがつけられたP902iに「すごいものが手に入りました✨」という本文とともに送られてきた、今になってすれば誰か区別がつかないほど解像度の低い画像を私はまだ覚えている。
(そのメールを送ってきた元同級生とは先日久しぶりに会い、お好み焼きを食べに行った。
彼女は生中を何度もおかわりし、私はちびちびとライムサワーを飲んでいた。)
パケット通信料に恐れおののきながら画像掲示板で少しずつ集めた画像に、次第に「歌詞画」が混ざり始めたのは高校2年生の頃だったろうか。
長い前髪、全く見えない顔、白黒のマフラーを巻いた猫のイラスト、ファンが作った画像サイトに寄せられる、次に歌詞画を作って欲しい歌詞や画像のリクエスト。
簡単に画像が手に入らず、従量課金制の中ダラダラと画像検索をすることもできず(そもそも当時、画像検索は存在したのだろうか?)、音楽雑誌をカメラで撮影したものを待受にしていた頃、質のいい画像に歌詞を載せたものがたくさん掲載されたサイトにはお世話になった。
あの頃の方が、少なくとも私は1枚1枚の画像を大切にしていたように思う。
パケット通信料は定額の方が良いし、好きな人の画像は多ければ多いほど楽しいし、解像度は高いに越したことはない。
ただ、あの頃の感性とあの頃の情報量を持って何かを愛でることはもう出来ない。
スマートフォンさえあればなんでも手に入る私より一回り下の子はどんな熱量で物事を愛でているのだろうか?私より膨大な取捨選択を経て選ばれたものへの思い入れを、私は知ることが出来ない。)

歌詞画を待受画面にしなくなったのはいつだっただろうか。大学2年生くらいだったろうか。
当時の愛機はSH702iDdocomo史上一番可愛かったあの機種だ。
(ちょいと調べたらとんでもない方がデザイナーだった)
A5307STが出た時はauに変えようかと思ったのは余談)

話を冒頭に戻す。
あの夜は「大森靖子ちゃんの歌詞画」が瞬時に生み出された。
歌詞画を作ったことのない私でも5分くらいで作れた。スマートフォンとはすごいものだ。解像度を下げるのに一番苦労した。
他の人が作ったものや、「歌詞画あるある」「GIFのメール送受信画面」(あんなに必死に設定していたのになんで私はこの存在を忘れていたのか?と悲しくなったほどの訴えかけだった)、ああ、この人は同い年だろうな、この人は少し下かな、などと思った。

何度も何度も前置きをしたいのだが、いい悪いや優劣の話では全くないし、同年代というだけでは連帯感も感じないが、「ゼロ年代の人」と「ゼロ年代を追う人」の作るものの違いを勝手に感じ取り、それが大変に面白かった。
ゼロ年代の人」、ただ生まれた年のみによって選民意識を持つことは馬鹿げていると思うが、私が当時にいろんなものを大切にし、それを全部なかったことにしたのは事実だ。
体験した人が知っている「あの頃の再現」はもちろんあり得るが、それではなくむしろ、あの頃を追体験した人の作る「あの頃っぽいもの」、それによって私は、私が見ていたものが何を大切にしていたのかをよりわかりやすく認識することができた。
私は何かを作る側になったことはないが、5分で作れる歌詞画を作ることによって、「あの頃を追いかけることでより浮き彫りにされるあの頃」を体感することが出来、とても楽しかった。

ゼロ年代」を憎らしい記憶しかないものとして蓋をするのではなく、あの頃私が大切にしていたくだらない些細なこだわりたちを、肯定も否定もせずにただそこにおいてたまに眺めるものとして受け入れてあげたいと思う。
私はこうやって年を取っていくのだろうし、来月で大森さんは29歳になる。

広告を非表示にする