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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

13/10/19 あの日の渋谷の話

大森さんがLINEブログに書いていた、ただの思い出話。そんなに昔の話ではない。


2013年10月19日は夜に下北沢シェルターでチャランポランタンとの2マンで、故に東下りを既に予定にしていた私は新幹線の時間を早め意気揚々と渋谷へ向かった。
都会の人には当然で田舎者には信じられないと思うが、渋谷にはPARCOが4つある。何を言っているのかわからない人もいると思うが、PARCOが4つある。
そういえば天神のビブレはお洒落の象徴だと心の底から今も思っているが、都会の人からしたらビブレはジャスコだ。その辺のニュアンスの違いには気を付けて欲しい。

早々に渋谷に到着し、開店直後のPARCOでシブカル祭の展示を眺めた。
下北沢だったり高円寺だったり原宿だったり、立地が渋谷てあること以外にどの辺が渋谷なのかよくわからなかったが、これが全部展示できるのが渋谷なのかな、と思った。

ところで、東京に行ったこともないのに「渋谷」という地名を覚えたのは一体いつだったのか?
思い出されるのは広末涼子「MAJIでKOIする5秒間」の「渋谷はちょっと苦手」(高知県出身なのだから「ちょっと苦手」くらいで済むわけないと思う)及び、隆盛を極めていた「コギャル文化」における聖地としての渋谷109だ。
あとはなんだ、バスルームで髪を切るのか。大森さんもバスルームで髪を切っていたが結果的には美容室に行っていたな。
「新宿のカメラ屋さん」でお馴染みの新宿もそうだが、名前を知っていながら自分がその土地に立つ可能性のない土地という意味では、渋谷なんてマサラタウンみたいなものだと思っていた。どちらかというと百道浜には馴染みがある。シーサイドももち。実に正しい街だ。
渋谷は何度行っても現実感がない。
マサラタウンからグリードアイランドに格上げされたくらいだ。

あの日大森さんは、ペガサスのスニーカーを履いていた。どちらかのペガサスの口枷が外れていたのを覚えている。右か左かは忘れてしまった。
詳しいことはYouTubeなどを見ればいいと思うが、あの日の大森さんは渋谷という街に友好的には見えなかった。
田舎育ちなのはきっとあまり関係がなく、私は渋谷が苦手だ。
歩くたびに、お前に価値はあるのかと突きつけられている気がする。
クリスマスパーティをする友人はいるのか、誕生日を祝ってくれる恋人はいるのか、親に感謝はしているか、うまいパスタは作れるのか、流行りの服を着ているのか、ラッシュの石鹸で顔を洗っているのか、そんなことを問い詰められているような気がする。
ヒリヒリした大森さんの様子は、渋谷に立ち向かうにはこのくらいの気合いが必要なのだな、と思わせてくれた。

今となっては伝説だが、「新宿」を歌えばきゃりーぱみゅぱみゅのトラックが走り、「あたし天使の堪忍袋」を歌えばカラスが鳴いていた。
(私はきゃりーぱみゅぱみゅのトラックに気がつかなかったが、ロボットレストランとEXILEのトラックが通ったような覚えがある。)
PARCO前の、路上に面した広場に建てられたステージ、当然ながらすぐそこを知らない人も車もバンバン走るし、出音の上限も決まっていた。トラックからはいろんな音が出ていた。多分、ロボットレストランの歌も聴こえてきた。
「あたし天使の堪忍袋」、「あーあーあー」の合唱のところで大森さんは言った。
「出音には現界があるけど、生音は怒られないんで」
お客さんたちは声を張り上げた。
あの時、本当に信じがたいが、大森さんの声と、大森さんのギターと、それからお客さんの声しか聴こえなかった。
渋谷の、路面で、街の喧騒が聴こえなくなったことはあるだろうか?
今その場所がどこであるかに関係がなく、そこには、大森さんがいて、私がいて、それだけなのだと思うことができた。
私が苦手でならない渋谷で野ざらしだというのに、感じたことのない安心感だった。
大森さんは空間系の念能力や宝貝やスタンドが使えるのだろうと茶化してしまうほど、そこには大森さんのテリトリーがあった。

大森さんは、その場に自分の領域を作ることにとても長けている。
一人で遠方のライブにスタッフを連れずに来た大森さんが、歌い終わってすぐに物販の準備をするところを、このシブカル祭の前後に何度か見たことがある。
ライブハウスの隅に大きなピンク色のスーツケースを広げて、物販の机の上にカバンやコートやiPhoneや充電器を投げ出して、スーツケースの奥からTシャツの色違いやサイズ違いを探してくれる大森さん。
あたり一面が一瞬できっと大森さんの部屋ってこんな感じなんだろうな、という空間になるのが好きで、設置から片付けまで遠くから眺めていたこともあった。
今は、広い広い大森さんの空間を東さんやぴろよさんやバンドの人たちと作り出しており、それはそれでとても大好きなのだけども、私は大森さんがダイソーのノートを広げていたステージや物販を散らかしていたあの机の上がとても好きだった。
話が逸れた。
とにかく、あの日、渋谷はあの一角だけが、私を外から遮断してくれる場所だった。
今の大森さんならどこまでそれを広げてくれるだろうか。道路の向かいにいたって大丈夫だろうな。

 

ライブが終わった後、大森さんに持参したお土産を渡し、「これは、モーニング娘。が大阪に来た時に道重さんがスタッフさんから差し入れされていた大阪のチョコレート屋さんで、道重さんが食べていたのと同じ種類のものを買ってきました!」と一息に伝えたら、「今日は喋ることまとめて練習してきたの?」言われた話を蛇足として付け加えたい。

 

以上、明日行きたいけど無理、という話でした。

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