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白昼夢、或いは全部勘違い

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16/05/27 「超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS」のAメロをライブで聴いて

簡単に言うと「大森さんがAメロでは単語の途中で息継ぎしてたのが面白かった。大森さんの新しいアプローチはライブでもサイコーだし、今後が楽しみ」というはなしです。

大森さんが実験室(トークイベント系ライブ)で、
「Voレコは調教できてないボカロが萌えるから人力でそれをやった」と言っていた、というツイートを見かけた。


バラバラに録音した声を重ねた、らしい。
「ライング」「ループぬけ」「だ」「して」や、
「いっしょうか」「けて」「こい」「を」「しよう」の心地よい違和感の要因だ。

「調教されていないボカロ」とは。
私は全くボーカロイドに詳しくないが、今も付き合いのある仲の良い元同級生が大学生の頃の一時期だけニコ厨で、よく一緒にカラオケに行っていたのでその頃の著名な曲だけは知っている。
「メルト」とか「ワールドイズマイン」とか「サイハテ」とか。
彼女がニコ動に飽きてしまってからの動向はよく知らない。

その頃に「調教されていないボカロ」という言葉を聞いた。
ボーカロイドの仕組みはよく知らないが、声のつなぎが稚拙で不自然な歌い方になっているものを「調教されていない」と言っていた覚えがある。うろ覚えだ。

意図的に区切られた「ライング」「ループぬけ」「だ」「して」や、「いっしょうか」「けて」「こい」「を」「しよう」が私にもたらした効果は2つある。
1つは「言葉の意味がすんなり飲み込めない、だから一度よく嚙み砕く」こと、もう1つは「声を、歌でなく楽器の音として聴ける」ことだ。

「スーサイドライン 抜け出して」がバスケットボールのパスだとしたら、「スーサイ」「ドライン」「ぬけ」「だ」「して」は、ピンポン球をたくさん投げられているようなものだ。
ピンポン球を拾って、並べて、「あ、こんな歌詞なんだ」と知れるのが私は大変に面白い。

 そしてもう一つ。
私の母語は日本語なので、日本語の歌詞を聴けばどうしても言葉の意味が自然に理解されてしまう。
「オーイエーアーハン」のような感嘆詞でなければ、日本語が乗せられた声をただの音として聴くのは難しい。
しかし、「一生かけて」ではなく「いっしょうか」「けて」の「けて」は違う。明らかに区切られた「けて」、「けて」ってなんだ。そんな単語知らないぞ。
だから私は、「けて」の意味に囚われることなく「あーーー大森さんの声かわいいーーーー」と、「歌」ではなく「好きな音色」として大森さんの声を聴くことができる。面白いね。

そんなレコーディング音源をたくさん聴いてライブに行った結果。
大森さんはなんか変なところ(=「けて」)で息継ぎしていた、ということに気付けた。
そもそも音源を聴いて歌詞カードを読んで、でないと、ライブでなにを歌っているかなんて正確に汲み取るのは無理だろう。
ライブで聴く「けて」は、知らない国の言葉のようでとても可愛かった。
予備知識なしで見ていたらどうだっただろうか。変なとこで息継ぎする人だなぁ、と思っただろうか。それとも、もしや日本語ではない…?などと勘ぐっただろうか。
「◯◯語が調教されていないボカロに聞こえる件」などというスレッドはないだろうか。
「閑散とした資源のない国だから語彙が少なくて単語が全部短い」とか、「乾燥した気候だから息を吐く音が多い」とか、適当に言ってるけどありそうだな、そんな言語。

大森さんというサンプラーがサンプリングした大森さんの声が大森さんから出ているような感じ。
でもサビは普通に息継ぎしてた。
一粒で二度美味しい!という多様なボーカルだ。楽しい。
大森さんは機械の体を手にれたのか。
情緒に振り切れることがプラスの幅だとしたら、機械的になることはマイナスに表現の幅を広げることなのかも知れない。

これだからずっと、大森さんは飽きさせてくれないのかもしれない。

ところで、人力で「調教されてないボカロ」を再現することについて。
ボーカロイドが出始めた頃、私は遊びでバンドをやったり本気でバンドを聴いたりしていたが、痴情がもつれたのでバンドをやるのは大変に面倒臭かった。
だから「ボーカロイド」という仕組みを知った時、「歌わなくても、メンバー集めなくても、いいじゃん!」と驚愕した。
「歌ってくれる女の子探してこなくていいじゃん!」と。
私は遊びでしかやっていなかったのでそれほど苦労はなかったが、本気でいかれたバンドメンバーを集めるのは大変だろうな、と、このまま誰もバンドやらなくなったらどうしよう、とすら思った。(今は別にそんなことは思わない)
でも、人工的な音声は、人の声とは違う良いところがあるんだろうな、と思っていた頃、好きだったバンドの元メンバーが初音ミクのカバー曲をリリースした。
(後期エレクトロより初期ギターロック派です)

正直、「それはあかんやろ」と思った。
だって私は、その人が歌ったものの方が好きだった。
それは好みの問題なので、どちらが優れているという話では全く無い。
今どのくらい技術が進歩しているのか知らないが、少なくとも当時は、人と機械が表現力で真っ向勝負しても意味が無いと思っていたし、むしろ人より無機質に歌うことのできる機械でこそ歌うべきものとして作られた曲をわざわざ人が情緒をもってカバーすることの意味が、当時の私にはわからなかった。
(久しぶりに聴いたら元の曲に無いよさを嫌味なく発揮したとても良いカバーだった。ごめん。)

情緒を求めることに生身の人間が絶対的に長けているとしたら、機械的な声を出すことは機械の方が長けているに決まっている。
だって機械だもの。
機械と人が争っても仕方がないのかもしれない。そもそも私は蚊帳の外だし。
繰り返すが、どちらがよいというはなしではない。
ただちょっとだけ、寂しくはなった。

その出来事からずいぶん経った今、大森さんの、「人力で、ボカロの人間に近づけていない不自然さを再現する」という非常にややこしい試みは、却って私に大森さんの楽しさを教えてくれる結果となった。

それ超すごくない!???!?!!!!
大森さんは超歌手だ!!!!!!!!!
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