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白昼夢、或いは全部勘違い

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15/03/21の日記

大森靖子&THEピンクトカレフが、もうすぐなくなる九州最大のライブハウス Zepp Fukuokaで九州での最初で最後のライブをしてからもうすぐ1年が経つので、当時の日記を再掲する。
ノスタルジーに浸りたいのではなく、ただの記録だ。記録するのは悪いことではない。実に便利だ。
 
ピンクトカレフのメンバーはまだ誰もステージに立つことをやめていないのに死んだ伝説のように語る人は大体みんな嫌いだ。
私の考えを勝手に想像して「あいつはそういう奴らしい」と思い込んで私を嫌う人には、それ無駄なエネルギーだしそんなにカッカするなよと思う、そして私もそのような人間だ。
相手がなにを考えているかは知りようがない。
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あまり気持ちの良い話ではない。

解散が目前だからって、いくらなんでも感傷的過ぎる。
外野がぴーぴー喚くだけの話。
それでも全部納得している、という話。
 
福岡はなんでもあると思っていた。
別にそんなことなかった。
東京に比べたらなんてことなかった。
 
そこそこ早起きをしてそこそこの新幹線に乗って博多へ。福岡市博多区
私は小倉を過ぎてもなお終わらない編み物をしていた。編み終わる頃に博多に着いた。編み物は道具も少なく場所もとらないので移動に向いている。
大変に天気が良く、随分と暖かく、なにより私の体に馴染んだ気候だった。温度の問題ではなくなにか根本的な空気の違いを感じる。心地の良い温暖な気候であった。
故郷の空気によく似た雰囲気に包まれた私は、「こんなに温暖で過ごしやすい柔らかな空気が流れている土地に生まれたというのに、それに馴染む事が出来ず、逃げるように出てきてしまった私はなんというクズでポンコツの出来損ないなのだろう」という意識で頭がいっぱいになり、胃はキリキリと痛み、「シーサイドももち」の看板が見える頃にははっきり言ってもう本州に戻りたかった。
あの日飛び出したこの街と君が正しかったのにね、なんて思える相手もいないし、そもそも街っていうか町だし、と思いながら私は呪いの言葉を吐き出し「おなかがいたい」とわめき散らした。そうこうしているうちにZEPP FUKUOKAに着いた。
 
さて、ピンクトカレフ
真ん中前から4列目、触れそうで触れない距離。隣の人は多分ピンクトカレフにキョーミない場所取りの人、まあ、そんなもんでしょう。
たかのさんは黄緑のジャンバーのフードを目深に被っていた。ガチャピンのようだ。
スタッフによるサウンドチェックを経て大森さんがしれっと出てくる。
いきなり始まる「背中のジッパー」、いきなり大号泣の私、困惑する隣の人。
私が初めてピンクトカレフを見たときも、1曲目は背中のジッパーだったなぁ、とか、そんなどうしようもないことを考えていた。
 
初めてライブハウスに行ってからもう10年は過ぎている。解散にも脱退にも活動休止にも慣れていたつもりだった。
しかし、もうこの人たちが一緒にこの曲を演奏するところを見るのはあとわずか、と思うと不思議な気分だった。
誰も死ぬわけじゃないのに、もう揃うことはないんだ、と思うと改めて、この人たちは集まろうと思って集まっていた集団なんだな、と思い知った。
 
「福岡で一番有名な歌手」浜崎あゆみなどのモノマネを経てライブが始まる。
 
苺フラッペは溶けていた(アカペラ)
hayatochiri
きゅるきゅる
over the party
MC
ミッドナイト清純異性交遊
新宿
絶対絶望絶好調
最終公演
君と映画(アンプラグド 弾き語り)
 
モノマネから、美人マネージャーさんの「(ライブを)はじめていいよ」から大森さんが言う、「大森靖子でーす!」
あ、大森靖子なんだ、大森靖子&THEピンクトカレフじゃないんだ、私は動揺していた。
「苺フラッペは溶けていた」、大森さんが叫ぶ、毛先がピンクになった茶髪と相まって一番可愛いヤンキーみたいだった。
曲がどんなに進んでもバンドの音は聞こえない。「一度きりの人生何度だって、美味しい思いをしましょうね」、そのままアカペラで終わりハヤトチリが始まった。
ハヤトチリの間も私はずっと泣いていた。口の端から嗚咽が漏れるからずっと口を押さえていた。息ができなかった。「いやだ、」と呟いた自分に驚いた。私は「解散するもんはする」と思っていたのではなかったか。
「きゅるきゅる」、最近踊っていないから振り覚えてるかな、と不安になった。
キネマ倶楽部ではキーボードが担当していたメロディ、ボロフェスタでは異常なまでにプログレッシブで(多分ピッチがおかしかった)あったが、これがとてもスマートで、いいなーいいなーと思いながら聞いていた。
サビ、さてきゅるきゅるするか、と思っていた私はびっくりした。どうしよう、きゅるきゅるしている人がほぼ見当たらない。前から4列目なのに!
これはワンマンライブでもなければレコ発ツアーでもない。ピンクトカレフが初めてライブをする福岡でのロックフェスのひと枠なのだ。当然といえば当然なのかもしれない。
でも私は思っていた。きっと、福岡に、九州でずっときゅるきゅるするのを待っていた人たちがたくさん集まってみんなできゅるきゅるするんだ、って。
それはどうやらもう少し先の話だったようだ。でも、それがピンクトカレフで見れるものだと私は心底思い込んでいた。
なんでか、なんでか、私は私の思い込みが果たされなかったことに随分落ち込んでしまった。
「進化する豚」も同じくだった。
私は勝手に過剰な期待をかけて勝手に落胆してしまった。なんとも自分勝手な外野だった。
 
MCでは、ロックフェスとは、ロックとはなにか、を。
大意です。
ロックとは自分が足りていない器に、無理やりそれを押し込める(誇張する、背伸びをするということだろうか)作業であり、ロックをする人間はみんなで未完成で不器用、このバンドもあと数回のライブで解散するが足りてない人ばかり、そういう人を集めた。
そういう人間が自分を何かにぶちあててあてこむ、そうして大きな仕事を成し遂げようとしている姿をみて 勇気 元気 生きる活力を貰ってもらえたらなと、ロックフェスはそういう場だと思っている。、まあそれを見せてれるかというと、足りないんじゃないのかな?君たち(ピンクトカレフ)は。
さあ、ロックフェスをやりましょう。
 
ピンクトカレフが出演するロックフェスはもうない。
ミッドナイト清純異性交遊、新宿、絶対絶望絶好調、呆れるくらい夏フェスに行って、馬鹿みたいに日焼けして、「もうフェスセトリ飽きたね」って言いながら、それでも何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も私はピンクトカレフを見るのだと思っていた。
そんな夏を、私が大嫌いな大嫌いな大嫌いな夏を幾つも経て、私を好きになってくれなかった街で開催される夏フェスの大トリを務めるピンクトカレフをずっと想像していた。
私が、大嫌いな大嫌いな大嫌いな大嫌いな大嫌いな大嫌いな夏に期待していた唯一のことだった。
 
大森さんがどこに行くのか私にはもちろんわからないけど、中学生や高校生の時に私がお守りみたいに持ち歩いていたCDになってほしいと、通学バスの中で周りの音を全部遮断するために聞いていたMDの中に入っていてほしいとずっとずっと思っている。
テレビのランキングを音楽の情報源にしていたような中学生にも届くように、あゆとか、SPEEDとか、なんなら体育祭の創作ダンスで使われちゃうような人になるのかな、なんて思っている。
多分それは、きっと、ピンクトカレフではないような気がずっとしていた。後出しジャンケンをするならば、それこそリキッドルームワンマンのあとにZEPP TOKYOで見たときからそう思っていた。
でも、それはそれとしてピンクトカレフはずっとあるものだと思っていた。
解散が発表されて、大森さんの言うことを読んで、インタビューも読んで、納得のいかないことは一つもなかった。
 
ブチっと音を立てて大森さんがギターからシールドを引っこ抜いた。
インタビューで読んだ、「呪いは水色」をアカペラで歌ってステージを総括させた話を思い出した。
演奏されたのは「君と映画」だった。大森さんが一人一人の顔を見ながら歌いかけていた。
「君と新しい 人生を作るの コピーページにはならない。」
たかのさんが歌っているのが遠目に見えた。
 
弾き語り、直枝さんと2人、ドラムと2人、ドラムと直枝さん、絶対少女バンド、いろんな編成の大森さんを見た。
大森さん公式アカウントではTwitterでピンクトカレフの福岡公演について「この編成でのライブ」と言っていた。
ピンクトカレフは「大森靖子のたくさんある編成の1つ」という捉え方もあるのかも知れないけれど、私にとって「大森靖子&THEピンクトカレフ」は1つの塊で1つの生き物だった。その生き物はもうすぐ死ぬ。
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