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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

16/03/12 さいあくななちゃん個展ツアー「ロックンロールスター」@京都

さいあくななちゃん 個展日本ツアー「ロックンロールスター」@京都に行ってきた。

 
音楽の感想はいつも言葉にならないけど、個展の感想はそれよりもっと言葉にならなかった。
そもそも言葉にする必要があるのか。
絵も音楽も、言葉に出来ないもの/する必要のないもの/してはならないものを伝える手段なのでは、と思っているので、それをわざわざ私のごときただの無責任で無関係なOLが感想をしたためインターネットに公開しようとすることが間違っているのではないか。
なのでこれはただの日記だ。レポートでもなければ感想でもない。日記くらい無駄な言い訳や御託を並べないで好きに書けるようになりたい。無理だ。
 
17時の少し前、町屋の2階を使ったというスペースへ。
6畳?8畳?屋根裏部屋のように天井が斜めに下がった部屋の中は四方八方がピンク色で埋め尽くされていた。
笑顔で出迎えてくれた在廊中のななちゃんは、足元に巻かれたとりどりの紙を踏みつけて入室することを躊躇う私に「踏んでいいですから!」と言ってくださった。
 
部屋に入り、陳腐な言葉で申し訳ないが、圧倒された。
キャンバス、画用紙、ちぎったノート、賞状、履歴書、世界堂の紙袋、あらゆる平面に描きつけられた絵が、言葉が、壁中を埋め尽くしている。
天井には白い布が吊るされ、クリスマスツリーに巻きつけるみたいな星のライトが光り、紙粘土でできた星に何度か頭を引っ掛けた。
そして足元を埋め尽くすのも色彩だった。
撮影は可能だった様だけど、私は絵の写真を撮るのが苦手なので足元だけ撮らせてもらった。
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四方八方を絵に囲まれて私が感じたのは、安心感だった。
ある日の帰宅中、チャットレディ募集のティッシュを差し出された。私はただ家に帰りたかっただけなのに、ティッシュ配りの人に「こいつには性的な売り物にする価値があるか」と値踏みされ、「とりあえず渡しておこう」となったのだろう。
暗に選ばれたと主張してるのでもない、選ばれないことを悲観しているのでもない、なぜ私は、頼んでもいないのに、不躾に、「女として価値があるか」評価されないといけないのか、それがとても悲しくなった。
評価が肯定的でも否定的でも、望んでもいない場面で性別を土台にした物差しで値踏みされるのは嫌だ。
でもそんな物差しは、帰宅途中にも職場にもインターネットにも溢れている。
 
ななちゃんの絵に囲まれた部屋の中にいたとき、私はそんな物差しから自分が遮断されたような気持ちになった。
 
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中庭から、安心感のある部屋。
 
17時を回って、オープニングアクトの佐々木コータくんから3曲。
彼のツイキャスをよく聴いているが実際に歌を聴くのは初めてなのでとても楽しみにしていた。
喋るときの声と全然違う、高くて綺麗な声と柔らかいギターは大変心地よかった、けれど私は彼の方を殆ど見ずにずっとななちゃんの描いた女の子を眺めていた。
ななちゃんの描いた女の子と、人前でギターを弾く男の子、の取り合わせは何を示唆するのか、と余計なことを考えていた。
佐々木コータくんはとてもよいのでまた歌いに来て欲しい。
 
そして、ななちゃんのステージ。
ちいさなピンク色のギターを抱えて座った彼女は、作品の一部のようだった。
というより、あの演奏を含めて全部が個展だった。
「私の絵がロックンロールになったらいいな」
「君がビレバンに行かなくなっても 私は君に絵を描くよ」と歌う彼女は、ロックンロールスターで画家だった。
ところでロックスターってなんだ、それは今度考える。
ななちゃんは、主催のイヌくんの作った歌も披露してくれた。ななちゃんが膝の上に置いた、「何度も練習したからボロボロになっちゃった」というふにゃふにゃの紙には、歌詞とコードだけでなく恐らくイヌくん手書きのタブ譜が書かれていた、親切かよ。
彼の曲はコード進行がどうにもイヌくんであった。彼にも早くまたギターを弾いて欲しい。
 
既に描かれた絵画と鑑賞している私とのタイムラグは中々に埋めがたい。
それを描いたのはいつ?どんな顔をして描いたの?それは何時だったの?その日の天気は?
私が受け止められる絵画の情報量は、居合わせた瞬間に鳴る音楽のそれに比べて随分少ないような気がしていた。受け手としての経験値や感受性が不足しているのだろう。
だからななちゃんが、ギターを弾いてお客さんの顔を見て、噛みしめるように歌詞を紡いで、ななちゃんの後ろにはななちゃんの描いた絵があって、私はそれを通してやっとななちゃんの絵を少しだけ知ることができたような心地がした。
 
この空間に入って、最初にぐるりと絵を見たとき、「こんな感性を持っている人が生きづらかったり悲しかったりする世の中は嫌だな」と思った。
私はななちゃんのことをよく知らないが、断片的な情報を持って勝手に、「彼女は辛いのだろう」と思った。なんと失礼な話だ。
けれど、歌を聴いて、もう一度ぐるっと、じいっと、彼女の絵を見たとき、それは私の勘違いだと思った。
辛いのか辛くないのか、それは受け手の私には関係なくて余計なお世話で、彼女の絵を見て、私が安心して、明日からもなんとか生きていこうと思えたこと、それでいいのだと思った。
この個展を見に行くことができて本当に良かった。
またの機会があればとても嬉しく思う。
 
以下、蛇足。
 
「私がこの個展を見に行ってもいいのか?」というのは、発表されたときから思っていた。
なんら責任のないの「行きたい人が行けばいいんだよー!」というのは屁のつっぱりにもならならないし言って欲しいわけでもないしもう行ったあとなので別にいらない。
 
私がななちゃんの絵を初めて見たのはいつだっただろうか。覚えていない。どうせTwitterとかだと思う。
そのころの肩書きは多分「ニート兼画家」で、「画家って表記、久しぶりに見たな」と思ったような覚えがある。
彼女の絵をきちんと見たのは、大森さんのキネマ倶楽部単独公演「☆2日間で超楽しい地獄をつくる方法☆」で、「痛T」と銘打たれたTシャツが発売された時だ。
あの頃私は「大森さんのグッズを端から端まで買う自分」について悩んでいた。
私は本当にこれが欲しいのか、本当にこれが好きなのか、大森さんと名のつくものをなんでも収集することはもはや思考停止でしかなく、それは大森さんのことが好きでもなんでもないし、なにより作った人に失礼だ、と思い、なかなかこのTシャツが買えなかった。
可愛すぎて着れないし、本当に欲しいのかわならなくなって、悩んで悩んで、結局翌年の3月に買った。たまに着ている、中野サンプラザとか。
 
私は会場に行くまで、画家としてのさいあくななちゃんには全く向き合っていなかった。大森さんのグッズの人、ヒロネちゃんのジャケットの人、そのくらいだった。
あのTシャツはお気に入りだけど、大森さんに関するものはなんでも自分の好きなものだと錯覚しているだけなのではという気がして、そんな私が見に行くのは無粋であり失礼なのではとためらっていた。
私は本当にななちゃんの絵の実物を見たいのだろうか。
親しくしているイヌくんがお手伝いしているのでなけば、開催を知りつつ行かなかったかもしれないとすら思う。
もし初めて見かけたのがビレバンだったら、「最近の女子高生はこういうのが好きなのか〜」なんて思っていたかもしれない。
 
けれど、私がこの個展でなにを思ったかは前述の通りだ。
私はななちゃんの絵を好きになれた、と思う。
この蛇足は、「大森さんに関するものはなんでも好き、サイコーっていう空気がつらい」と思ってる人に、私は好きなものにしか好きと言わないし、あとは無言だということを伝えたくて書いた。ななちゃんの絵が好きだ。
 
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