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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

「ロックンロールは女の子なんかのものじゃない」と言われたことのある私や、そんな思考に無自覚なあなたのために

HOMMヨ(オム)について、これで誰か5人くらいがYouTubeを見て、あわよくばCDを買ったりライブを見たりすればいいなと思って書きました。

「HOMME」は、フランス語で男性の意です。フランスの男子トイレのドアにはHOMMEと書いてありました。
ヨがEの裏文字なのは意味深。

HOMMヨのライブを見た時、過激なパフォーマンスや過剰なアジテーションがなくても、人はただ音楽を聴いているだけでこんなにも高揚出来るのかと心底驚きました。
(私が見た数少ないライブでの印象ですが、)飄々とした佇まいのベース、しゃんと伸びた背筋のドラム、私の貧相な語彙では美しい人と形容することしか出来ないギターボーカル。
即物的な暴力でもなく、安っぽい激情でもなく、観衆は固唾を飲んでいると形容してもいいほどであったのに、最後の音が出終わった後には追い詰められた末に暴発したような拍手と歓声に埋め尽くされました。
初めは確かに平熱だったのに、自覚できないうちにじわじわと熱せられ続け、気が付いた時には取り返しがつかないほど沸騰させられていた感覚を味わったのはあの時だけです。そのような熱量の持ち方は見たことがありませんでした。
第一声からサイコーのライブ音源。

 

捻くれた私は形骸化したレクリエーションのような夏フェス(ここでモッシュここでダイブ、ここでリフトしてね!今日もサイコー!みたいなやつ)のことを、「部活の声出しじゃねえんだぞ」と思っていますが、それの全く逆のところである「ライブを見て、音楽を聴いて、かっこいいと思った人が興奮する」という構図に打ちのめされました。
その日は、「これだから私はライブハウスに行くことがやめられない」と日記に書いて寝ました。

そろそろ還暦を迎える私の父親が持っていたレコードに印字されたロックンローラーのようなフロント、ニイマリコさんはとても美しい人です。
一般的に見ても大変な美人であると思うのですが、それよりも「美しい人」と表現するのがよく似合う方だと初めて拝見したときに思いました。
漫画からそっくり抜け出してきたような無駄のない佇まいは、私の大好きな漫画家 中村明日美子様の描く曲線(ねっとりしていない方、「ばら色の頬のころ、とか)で構成されているように思えるのです。

(2017.3追記 どちらかというと彩景でりこ先生や…というのが最新の見解。)
初めてライブを見てその感想を対面してお伝えた時、「ライブハウスでたった2000円払っただけだというのにこんな綺麗な人と口をきくことが私に許されるのか」と思いました。

そんなHOMMヨのシングルが発売になりました。

私は教養がないし浅はかなのでまずマグリットを思い出しましたがだからといって何もないです。
店舗で予約したことをレーベルにご連絡すると、各店舗で購入した際の特典を全部送ります!という、大変に太っ腹な企画があり(このMVも先行公開だったのです)
大森さんとオワリカラしか普段は予約しないずぼらな私にしては珍しくCDを予約しました。
タワーレコード特典のDVDでは、YouTubeにアップロードされているMVのエディション違いとして、「多種多様な石」のないMVを見ることができます。
(よく動く人のことも、それはそれで大好きなのですが)HOMMヨのメンバーには一切無駄な動きがなくて、それでいてとても恰好良いたたずまいは、一切のごまかしがなくて、音と、それを出すための必要最小限の動作に機能美の様なものを覚えます。


あまりCDの感想をしたためたことは無いのですが、少し書いてみます。

表題曲「LOADED」は3拍子というよりは8分の6拍子でしょうか、私は複合拍子が大好きです。楽しいから。タイトなHOMMヨに複合拍子はよく似あいます。
37度2分(微熱)でもなく、36度5分(健康)でもなく、35度8分の体温がずっと続くようですが、気付けば沸騰している感覚はCDにも健在です。


カップリング「DAZDE」の!歌詞!

DAZED 恋に落ちたんだ
冷え切った頭で

特典でニイさんがお友達の作家さんと対談されている紙面で「妄想を掻き立てる歌詞」についての記述がありましたが、このフレーズに私はイチコロです。
続く「LAND」も歌詞カードをよく読むと

愛を きみに
きみの夢は 窓に

歌詞カードを読む事を今より大事にしていた頃、漢字なのかひらがななのかについて私は強い執着を持っていましたが、この曲の「きみ」がひらがなであることは私を大変たまらない気持ちにさせます。
HOMMヨには、「いいこだよ」や「死体遊戯」の印象が強いのですが(ライブアルバムばかり聴いているせい)、「LAND」をライブで聴くのがとても楽しみです。

 


ここから先は蛇足です。
HOMMヨに託けた私の話です。

残念なことに、HOMMヨについて話すとき性別の話が出てきてしまうこと自体が、「ロックンロールは女の子なんかのものじゃない」という題目の遠い肯定だと思うのです、が、それに私自身が言及する矛盾!大変に嘆かわしいです、けどね、書きます。
私が勝手にとらわれているだけではないはずだと思って。

ロックンロールは女の子なんかにわかるはすがない、と思ったことはありますか。今時そんな人いないのかな。
でも、「売れるとお客さんに女の子が多くなってつまんない」とか、「顔が好きなだけなんでしょう」とか、「どうせ彼女ができたり結婚したりしたら好きじゃなくなるんでしょう」とか、「そんなに好きでも付き合えるわけじゃないのに」とか、言われたことや言ったことはありますか。
「私がもし男の子だったら、余計な気持ちを持ち込まずにあの人のことを、あの人の音楽だけを、もっと好きになれたのかな」と思ったことはありますか。

芸術に性別を持ち込むことがナンセンスであるのか必然であるのかは未だにわからないけれど、私が女ではない何か、男の子だったり、身体的性別と性自認が一致しなかったりしたら、きっとあらゆるものの受け手としての感性は異なっていたと空想するので、その影響は無視できないと思っています。

しかし、それが(ロックンロールの表現者が男性ではなく女性である場合のみにおいて)第一あるいは順ずる因子として語られることに嫌悪感があるのです。

「女社長」や「女性経営者」や「女流作家」という言葉ではよく指摘されますが、「ガールズバンド」という言葉が無自覚に内包するのは「本来であれば男性がやることを、女性がわざわざやっている」ではないかと思います。「ガールズバンド」に求められているのは「『女のコ』っぽさ」だと感じることはよくあります。その期待や前提が先立っていて、それから少しでも逸脱すれば「パワフル」だのなんだの付くこと、なんだかなと思うことはあります。
(男性が作る手芸についても過剰に細やかさが取り沙汰されるのも同じ構造だと思います。)

それは受け手の私にも同じくで、「女の子がこういうの聴くんだ」と言われたり、「性的なニュアンスで好きなんでしょう」と言われたり、まあ、よくある話です。
(そういう好意を持つことが悪いことだとは思いませんが、私が女であるために好きな音楽に対して作り手が男性であれば必ず性的な好意を内包しているのだと思われるのは悲しいです)

女の子が女の子の気持ちなるものを歌うことを嫌だと思っているのではないです。だって私、西野カナ好きだし。
ロックンローラーに恋をするのが不純だとも思いません。もっと夢中にさせてくれよ、と思います。
私が嫌いなのは、性を強調しているわけでもないのに相手の性別を周囲が勝手に取り沙汰して勝手な意味づけをすることです。

ニイマリコさんは、ご自身のブログに下記のように記されていました。

女という性別で生まれたがために、自分が心底やりたい、自分のイメージする、「ロックバンド」が出来ない、このロックに対する劣等感は、ただね、単なる思い込みな気がした(とでも思わないとやってられなかったのだ)ので、ドンデン返しをするために全員性別女のバンドHOMMヨを結成して、2014年になり、その劣等感とうまくつきあう(劣等感とは消えるものではない、大事なのはつきあい方であるのことよ)ことができる気がした

あけましておめでとうございます | ある日突然

 

HOMMヨは、ただ、かっこいいのです。

HOMMヨについてしばしば、「中性的」という感想を目にします。
それを私は、「受け手が勝手に提示されてもいない性別を無粋に持ち出す隙もない程、ただかっこいい」ということだと思いました。

HOMMヨが、ただただ、かっこいいなと心底思わせてくれたから、私にも受け手としての自分の性別の置きどころに対して折り合いをつけることができるのではと思いました。

HOMMヨを見てから、私は前よりも自由に音楽が好きになれたように思います。

性別の壁と自分の甘えを自覚する話は以下

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