読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

「全感情のノーマライズ」について

全感情のノーマライズ
大森さんのお言葉。

特にここ3年は自分のやりたい仕事『全感情のノーマライズ』の達成のため、下品だろうが、ダサかろうが、恥ずかしかろうが、叩かれようが結構という姿勢で、伸びない背筋で許容される普通や表情を手探りしながら、最大の速度でやってきました。

ご報告 : あまいしね【コピペ推奨】

調べてよく考えたことをまとめます。

まず、ノーマライズとは。
ノーマライゼーション」という言葉が浮かんだけど、なんだか違う気がするので検索しました。
ノーマライズ」という検索で始めに出てくるのはデジタル音響用語でした。音響には明るくないので余り理解できませんでしたが、小さな音を拾いたいときに、音が割れない範囲で最大化すること、のようです。(音響としてはなんのためにどういう効果を狙って行うのでしょうか?)
この意味で使われているのだとしたら、「全感情」を「それぞれみんな大きくする」とは、と考えました。
「他と違う」「届かない」「大きな声では言えない」そんな気持ちを無視することなく、そこにあるということを代弁してくれるというか認めてくれるというか、そういうことを思いました。
そこで思い出したのが、「すべての女子を肯定したい」という、「絶対少女」(2013年12月発売)のコンセプト、より前にブログに書かれていた以下の言葉です。

すべての女の子の言うまでもない気持ちとか 全部肯定していきたいと思っている

9/25 孤独部 : あまいしね【コピペ推奨】

「全感情のノーマライズ」は、「言うまでもない気持ちを肯定する」と同等、或いは更に広範囲に渡ることだと解釈しました。

「面白いこと 本当のこと 愛してるひと 普通のこと」が「なかったことにされちゃうよ」から「言わなくても伝わるマジカルミュージック」へ。

これまでは、「言わなくても伝わる」や「マジカルミュージック」を私は皮肉だと捉えていました。
「脱法ハーブ」から「マジカルミュージック」ということで、マジカルなキノコを連想したため、「マジカルミュージック」は「深く考えなくても、ロクに頭を使わなくても、楽してハイな気持ちになれる粗雑で劣悪な音楽」で、「言わなくても伝わる」は「同じことしか歌わない当時のJ-POP(うまいパスタ食って母ちゃんに感謝して会いたくて震えてたころ)にラベリングされた画一化された感情しか持たないから、心の機微もなにもかも簡単な言葉に押し込められて安易に共有される」ことだと思っていました。
(そういう「マジカルミュージック」な「音楽を捨て」て、そして大森さんの提示してくれる「音楽」へ、という解釈です)

「全感情のノーマライズ」≧「言うまでもない気持ちの肯定」を受け、「言わなくても伝わる」とは、「声に出せない黙殺された気持ちが、そこにあるということを認識されること」だと思うようになりました。
認めるでも肯定するでも広めるでもなく、認識されること。
「私はこう思う」がいちいち「そういう考えがあってもいいと思う」ではなくてただ「ある」それ以上でもそれ以下でもないこと、それを「伝わる」というのはピントがずれていると自分でも思うのですが、「声高に主張しなくても(=言わなくても)それが存在するということが誰かに当たり前に受け止めてもらえること」を「言わなくても伝わる」という言葉に当てはめています。

もう一つ、福祉用語「ノーマライゼーション」について。

障害者を排除するのではなく、障害を持っていても健常者と均等に当たり前に生活できるような社会こそがノーマルな社会である

具体的な活動の例としては、専用施設を作るのではなく同じ町で暮らせるようにバリアフリー化を進めること、でしょうか。中学生の時道徳の授業で習った言葉です。意味を忘れかけていたのでWikiから引用です。
一緒に「マイノリティ」という用語を習ったのをよく覚えています。当時、クラスに馴染めず変だ変だとヤンキーやギャルにからかわれていた根暗の私は、自分の考え方は他の人とは違うから私はマイノリティなんだ!という発想を得ましたが今思うとただの中二病なのでもっとしっかりして欲しいです。

バリアフリー化が進むのは良いことだが、周囲の人が助け合い車椅子を運ぶ機会が減ったのが嘆かわしい」と、じゃあどうしたら満足なんだよと聞きたくなるような主張をする人を見かけてからバリアフリーいう言葉を聞くとうんざりするようになってしまった、のは置いておいて、ノーマライゼーションという意味から「全感情のノーマライズ」を考えてみます。

「専用施設を作る」ことは、「小さな声が同じような考え方の人だけと集まっていること」だとしたら、「ノーマライズ」された状態は「どの感情も同じ土俵にあること、あるようにするための整備」だと思います。

先日大森さんがテレビで紹介された時、「きゅるきゅる」のPVを見たコメンテーターたちは戸惑っているように見えました。その後プロフィール紹介で「美大出身のミュージシャン」と言われた時、「ああ〜美大か!」「なるほど!」という反応がありました。
その時に見て取れたのは「変わったパフォーマンスだけど美大出身の人ってみんな変わってるし、なるほど〜」「なら私が戸惑ったのも仕方がないね」という空気でした。
例えばとてもこだわったステージの大道具を自ら手がけている、ならプロフィールに美大出身と入ることはわからないでもないのですが、大森さんについて掘り下げるならいざ知らず、短いテレビの紹介で「美大出身」が強調されるべき音楽的要素はあのときなかったと私は思いました。「美大出身」とは「ちょっと変わってるけど普通の人には理解できなくて当然だし安心してね〜」というお触れ書きのように使われていると感じ、勝手にカチンときました。
美大=芸術家=楳図かずおの家=凡人にはわからない、みたいな等式)

またしても「感情」からの拡大解釈かもしれませんが、「ああ、美大系のミュージシャンね」と、特異なものというフィルターを通すことなくその表現を受け止めるような世の中になること、それが「ノーマライゼーション」という芸術を受け止める側の土俵の整備だと思います。
芸術を例にとりましたが、人の気持ちも考え方もその整備された土俵にのせることができるとして、その整備された土俵にあがるとは。
中学生の私が「自分はマイノリティなんだから理解されなくても、友達がいなくても、それは仕方のないことだ」と思っていたこと、今にして思えば単に私の怠慢だと思います。
「理解されるわけがない」と施設に隔離されることを自ら望むのではなく、同じ土俵にあること、それを選択してもいいのではないかと、出来ればそうしたいと思います。
「私はこう思う」というのを隠すでも主張するでもなく、ただそこにあるように、とすることは隔離を望むより大変だと思いますが、根暗の中学生の私にそれができていたらなと今になって思います。

 

これが私の考えた「全感情のノーマライズ」です。
「全感情のノーマライズ」ってなんだろね。ミュージックマガジンかナタリーあたりで適当に掘り下げて欲しいです。

広告を非表示にする