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白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

「感情のステージ」で殴り合いたい相手は結局自分以外にいなかった

大森さんのLINEブログに懐かしい写真があがっていた。
ので、これにまつわる懐かしい文章を。

大森靖子 - u823.net

具体的な日付は覚えていないが、メジャーデビュー後に今のサイトに変わった。
twitterで検索した限りでは、2014年6月27日にこの改変について言及されているのが1番古いものだった。

いろんな時期のいろんな写真と言葉がコラージュされたサイトトップ、前の写真は随分ノスタルジックだったから、なんか変わったなあ、と思った。
写真も言葉も、ただ歌詞やアー写を集めてきたものではなかったので、「avexってちゃんと大森さんのこと見てくれてる…」と嬉しくなったのを覚えている。
「その写真古すぎない?」って思うのもあったけれど。

(ほぼ)歌詞からのものと、それ以外はブログに書かれている言葉だ。
1番古いもので2012年、そこから2014年5月までの言葉のなかで、最近1番目にするのは「感情のステージにあがってこい」だろう。

(私が観たわけではないので本当かはわからないが)MCで「感情のステージにあがってきてください」と言っていた(らしい)のが2013年2月。
ブログに類似の言葉が登場するのか2013年3月、「魔法が使えないなら死にたい」が発売した前後だ。
今もウェブにあがっているインタビューで述べているのが2014年5月公開のもの。
音楽サイトの「洗脳」のレビューで「一時期『感情のステージにあがってこい」と、よく話していた』と書かれているのが2014年12月。

感情のステージにあがる」とはどういうことだろうが。
「ドグマ・マグマ」の象徴的な歌詞、

考えろ、感じろ
TOUCH MY YES

と合わせて考えてみる。
感じるのではない、考える。

先のインタビューやブログでは、「論理的であること」と「感情のステージにあがってくること」の対比が述べられている。
それを踏まえ、「感情のステージ」への工程を、ステージらしく段階を踏まえて考える。
「ステージ」は「舞台」であり「段階」だ。まずは段階の話をする。

1段階目[感じろ]
「感情」「感じる」こととは、論理でなくそう思ったことそのままだとして。
好きなものを好きでいることは存外難しい。
私は思春期に「これ以上漫画ばっかり読んでたらまともな友達が一人もできないままイジメられるに違いない」と思って少年ジャンプを買うのを辞めた。私が一抜けする前に親交のあった同級生はあの後不登校になった。
大森さんが表紙になっていたファッション誌のコピー「私たちが大切にしてきたもの それは好きなものを好きっていう勇気」、私が子どもの頃にも誰かこれを教えてくれたらよかったのに。
「感じる」ことは簡単で、それを保ち続けることは困難だ。

思い出すのは「音楽を捨てよ、そして音楽へ」。

面白いこと 本当のこと 愛してる人 普通のこと
なかったことにされちゃうよ

そしてそれが「それ以外はなかったことに」されることの主体である、「なかったことにする人」とは論理的な立場にいる人ではなかろうか。


2段階目[考えろ]

いつもいつも ことあるごと それ以外はなかったことにされました

「感じた」ことが「なかったことにされる」のが論理のステージ、と仮定する。
論理のステージは、感情のステージに対する一方的な害悪ではないと私は思う。というより、思わざるをえない。
なぜか、それは私が日々、論理のステージに生きているからだ。
本当は職場で作っているプレゼン資料なんか全部ピンク色にしてやりたいし、大好きなフリーフォント「Oradano明朝体」で報告書だって作りたい。やらない。コーポレートカラーの散りばめられた社内規定のテンプレートを使っている。
パンチの効いたいらすと屋さんのカットを忍ばせることが私にできるささやかな自己主張だ。
これが論理かといえば、少なくとも私にとって最も身近な論理はここにある。

そして、論理なるものがただひたすらに冷たく嫌悪すべきものだとは思っていない。
冒頭に話を戻して、大森さんの昔のサイト。

青字のところはすべてリンクだ。
全ライブの告知ごとに、各会場のサイト、e+の販売ページ、公演のサイトに飛ぶよう日々更新されていた。
「ライブを一つ一つ大切に」という気持ち(イコール感情)かもしれない。
が、私が大森さんを好きになったころ、「知らない会場だ」から「ググるか」まで心が高まっていなくても、ポチッと押せばリンクが飛ぶので「この辺なら行こうかな」となることもあった。
これが論理的な、緻密な計算の積み重ねでなければなんなのか。
大森さんが私の知っている短い間に右肩上がりに動員を増やしたのは、「音楽がいいのは当たり前」で「それ以外になにをするか」を一つ一つ重ねたからだと、私は思ってならない。
そしてそれは、よく考えられた論理に基づくものだと思う。

3段階目[感情のステージ]
「なかったことにされちゃう」ものを「なかったことにしない」。
なかったことにしたほうが話が早いことはいくらでもある。仕事中にOradano明朝体のことは考えない。たまに考えるけど。
それでも、譲れない時に、なかったことにされそうなもの・されてしまったものを、ちゃんと見せ合うこと、ぶつけ合うこと、この段階を[感情のステージ]とする。
「このままだとなかったことにされるかもしれない大切なものを抱えた人」や「日頃どっぷり浸かっている論理の糠のなかからきゅうりよろしく隠していた気持ちを引っ張り出した人」のぶつかり合いだ。しんどい。
「わからない」と言われると悲しいが、「わかる」と言われるのはそれよりずっとずっと嫌いだ。全方位に「お前になにがわかる」といつも思っている。
「お前の中では筋違いかも知れないけど、こっちはお前の論理で生きてねーから!」といつかの映画で言っていた覚えがあるが、感じたことから目をそらさないこと、自分の気持ちもそうだし相手の気持ちも尊重した結果だと私は思った。

そしてステージは舞台でもある。イメージは暗黒武術会のリングだ。
ここでドンパチやれるのが、そしてその結果認めるなり拒絶するなりなんなりすればいいんだろうなと思う。
しかし「感情のステージ」は、しんどい。

4段階目[考えろ、感じろ]
「なかったことにされ」そうになった感情を闇雲に振りかざしたところで事態は好転するだろうか。
エモーショナルな押しの一手!が強靭な人もいるだろう。私には、まあ、無理だ。エモーションが足りない。
しんどいのだ。気力体力時の運が足りない。
運をどうやって高めるか、それは「審判さんへの態度」だと大谷選手が言っていた。私は感動した。いやマジで。
詳しくは「大谷選手 マンダラチャート」で検索してほしい。これはこのブログ唯一の有益な情報だ。

せっかく「感情のステージ」にあがる気になったというのにこのままでは負け戦だ。負け戦なんか私はやらない。泥試合もやらない。
ではどこで勝負するのか、それが「考えろ、感じろ」だ。
元ネタと言っていいのか、あまりに有名な「考えるな、感じろ」に続くのは禅問答だというが映画は観ていないのでよく知らない。
「感じる」ことができたら、それを「感情のステージ」でなかったことにしないための戦いが待ち受けているかもしれない。そこで必要なのは「考える」ことだ。

話は飛ぶが私の性別は社会的にも生物的にも心情的にも女だ。
「女の子がそんなに勉強してどうするの?」の呪いは大学に行こうが働こうがなかなか解けない。なかなかの年齢のなかなかの立場の取引先の男性は平気で私に補佐の人?と聞く。ちげーよ御社を長いことご担当させていただいておりますよ。
だからこそ「考えろ、感じろ」と鼓舞されることが、私には結構な救いになるのだ。
私は無駄だと言われようが考えるぞ、それは武器だ。

以上の4段階、上下や優劣はない。
それぞれ「今ここ!この段階だ!」というタイミングがある。
それらを経ることで、考えて、感じて、到達するのは「私の『イエス』」だ。
「イエス」、「はい」、肯定だ。
名詞としての「yes」の例文は「say yes」、私が随分昔に引いた大森さんのチェキくじには「SAY YES」と書かれていた。ちょうどあの頃だ。

歌詞カードでは「YES」だが、音だけをMVのイメージのままに聴くと「イエス」、キリスト教の神様なのか神の子なのかナザレの方なのか私はその辺に疎いのでなんと呼ぶべきなのかわからないが、「Jesus 」と掛けてあるのかな、と思う。ジーザス!ジーザス!
(冗談で一度だけぎゅっと抱き締めてキスをくれるような男はボッコボコにしろよ!)
なので、「MY YES」は、「私の賛成すること、肯定すること」、解釈を広げると「私の意志」であり、なおかつ「私の神様」だ。

大森さんは「kitixxxgaia」に関するノーツやインタビューで、最近のごく簡単に遣われる「神」という言葉に言及している。
先日行われた「大森靖子ゲリラカラオケ大会」に私は運良く足を運んだ。
支払の列に並んでいた時、後ろにいた男の子(大学生くらいだろうか?)が、「これマジ神イベだったな!」と言っていたのが聞こえた。純粋に「楽しかったね!」というニュアンスで遣われる「神」に、初めて生で聞いた!と思ったのをよく覚えている。
私は何か好きなものを評するときに「神」という言葉は遣わない。単に馴染みが無いからだ。
そういう意味で遣われる「神」という言葉を初めて目にしたのはおそらくAKBの人気上位のメンバーを指した「神7」だったと思う。
「え?神?神なの?」と思った。
信心深いわけでもなんでも無い私が神様の話をするのは「沈黙」や「深い河」を読んだ時くらいだ。
なので、あまりに軽く遣われる「神」という言葉に驚いた。
今では当たり前のように遣われている。あの推定男子大学生は私より10歳近く年下だろう。
意味がわからない、とは言わない。私が高校生の頃連呼していた「ヤバい」や「超」だって、「わけのわからない若者言葉」と言われていたものだし、自分の手に馴染まないというだけで否定するのは格好が悪い。
「『超かわいい』って言うけどな、お前ら、かわいいを超えてどこに行くつもりだ」と、高校でいっとう好きだった国語の先生に言われたことがある。当時は「成る程〜」としか思わなかったが今なら返事ができる。「かわいいを超えてもたどり着くのは『かわいい』です」と。

しかしながら最初は「それいくらなんでも大袈裟では、あなたの神は学業に専念するなどの理由でいなくなるふわっとした存在でいいのか」とは思った。
それからそれなりの年月を経て、確かにふわっとしてはいるが、数が多いのだということに気づいた。
「神イベ」は年に何回開催されているだろうか。試しにtwitterで検索をかけたら、今日は3500人収容の会場に100人しかお客さんがいないイベントと、ソーシャルゲームの期間限定ガチャが神イベらしい。

私に新しい神様買ってよ 君の神様も見せてよ

映画もいいよね 漫画もいいよね

であり、

海もいいよね 山もいいよね

なのだ。
海の神様に山の神様、ジャパニーズ八百万だ。
神映画神監督神脚本神俳優、神展開神絵師。
新しい神様は買えるのだ、多分Amazonとかで。「愛はコンビニでも買える」以上の衝撃である。

CDや映画や漫画を貸しあって 同じ魂を探してる

同じものを好む人に同じ魂を求めること、それが「君の神様も見せてよ」なのかなと思う。
(けれどその目論見はおそらく果たされなかったのだろう、なぜならここはJI・MO・TOだから!)

繰り返すが、好きなものを好きということは骨の折れることだ。
「私の意志」だって、同じく持ち続けることが難しいことくらい、私でもよく知っている。
そのためのステップが、「感情のステージ」あがることで、「考えろ、感じろ」なのかと思う。

ところで「MY YES」のMYは誰だろうか。
「私の意志」、今まで私、つまりこれを書いている私のことを想定していたが、歌っている大森さんであるとも言える。
「相手の意志に触れるためには、感情のステージにあがって、ちゃんと考えて感じろよ」ということだろうか。
大森さんのライブを何度も何度も見ている私は、ちゃんと大森さんのYESに触れることができているんだろうか。わからない。

愛する気持ちだけでも 折れずに生きてりゃ充分さ

を実現するために、
感じて、考えて、感情のステージにあがって、考えて感じて、そうやって生きていけたらよいなと、そう思いました。

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蝶々結びより、「蝶々結びができない」と言うことの方が難しいなんて知らなかった。

春が来た。

昨年、狂ったように私物を捨てたとき、通勤用のスプリングコートも捨ててしまった。
そろそろコートも重たいし買わなければな、と思っていたら、大変可愛いパーカーを見つけてしまったので買った。
パーカーを買う予定はなかったし、スプリングコートを買うつもりだった予算を大幅にオーバーしていたので、スプリングコートは多分買わない。
肌寒い日はごくごく地味なスーツの上に超イケてるパーカーを着て通勤している。
私にしては反抗的な態度だが、特に怒られたことはない。

街で見かけるオフィスレディ達はみんなベージュのトレンチコートを着ている。
トレンチコートのベルト、私はあれがたいそう苦手だ。
きつく結べばシワが寄る、ふんわり結べば解ける。ふんわりを保つため頻繁に整えるようなまめまめしさを私は持ち合わせていない。

トレンチコートのレディを見て、思い出したことがある。
「ねえ、これ結んでくれない?蝶々結びが苦手で、」と背中を向けた友達に頼まれたのは、大学1年生の頃だった。
とても良い人選、私は蝶々結びが大の得意だ。
幼稚園児のころ仕掛け絵本で何度も練習したし、プレゼントや花束にかかっていたリボンをコレクションして美しい蝶々結びを追求したこともある。
縦結びなんてもってのほか、美しくないし、解ける。
私は意気揚々と蝶々結びをした。
「ありがとう」と言ったあの子に「恥ずかしくないのかな」と思った。
もう大学生なのに、蝶々結びができないことも、それを公言することも、人に蝶々結びを頼むことも。
「私は蝶々結びの練習をしていない、蝶々結びひとつ碌にできない人間です」と言っているようなものじゃないか、と。

ところで私はテレビの設置が自力でできる。
初めての一人暮らしをした地獄のワンルームは作りが古く、テレビの配線も今のようにぱちっと差し込むだけではなく、プラスドライバーを使ってなんやかんやしなければいけなかった。
電気屋のおじさんに教わった通りに繋げてテレビが映ったときはとても嬉しくて、「やればできる」に味をしめた。
ブルーレイも繋げた。家の外付けHDDはスマートフォンからも見れるNASだし、無線LANルーターだって自分で設定した。
「配線が苦手だから彼氏にやってもらう」とのたまう友人を内心では馬鹿にしていた。調べてやればできるのに、と。

しかし大人になってからふと気づいてしまった。
「やればできる」には限界があるけれど、「できる人に頼む」能力には限界がないことに。
そして私には「できる人に頼む」能力が足りていないことに。
できなければやって貰えばいいだけだ。
「手伝って欲しい」と伝える能力や、そもそもそんなことを頼める人を作ることは、おそらくテレビの配線より無線LANの設定よりよほど難しくて、守備範囲の広いものだ。

蝶々結びより、「蝶々結びができない」と言うことの方が難しいなんて知らなかった。

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あなたのしあわせを願うための口実を頂戴よ

数年前に知り合った女性が結婚した。

結婚したことはネットで知り、当時は簡単に祝辞を述べた。
あれから結構な時間が経っていたが先日ようやく久しぶりに顔をあわせることが出来たので、「ご結婚おめでとうございます。おしあわせに」と改めてお伝えした。
彼女は背筋を伸ばして「しあわせです」と答えてくれた。
聡明な少女だった彼女は、すっかり聡明な女性になっていた。
私はもうすぐ30歳なのにいつまでもあんぽんたんだよ。

私が結婚した数年前のこと。
極力対面で、それが叶わない相手には滅多に使わない電話で、結婚すると伝えて回った人数は10に満たないが誰もが「おしあわせに」と言ってくれた。
結婚するという報告を受けた際の定型文なのだとしても、嬉しく思うと同時に酷くむず痒い気持ちになった。
それこそ当時既に10年来の付き合いで、にっちもさっちも行かない高校時代を共に過ごしたあの子から「おしあわせに」なんて言われたのは初めてのことだったし、今となっては人生の半分程を友達として過ごしている計算になるが、しあわせを願われたのはあれっきりだ。

あの子に向かって私が「おしあわせに」と言ったことはない。
だからと言って、私があの子の不幸を望んでいるかというとそんなことは全くない。
「しあわせになってほしいか、」と問われればそれは勿論のことだが、常日頃あの子のしあわせを願っているのかというとそんなこともない。
あの子は私に「あんた本当に陰湿だよね」と言うし、私はあの子に「あんたこれからどうやって生きていくつもりなの、」と言う。こんなに忌憚ない関係を、私は他に持っていない。

結婚が100パーセント必ず絶大なしあわせを保証してくれるかというとそんなことはない。
ただの手続きだよと、私の周りの「しあわせな結婚」をしている人は口を揃えていう。私もそう思う。

あの人やあの人やあの人に、しあわせになってほしいかというと、それはもちろんその通りだ。
けれど早々、他人のしあわせを願える機会はやってこない。
道端で「あなたのしあわせを願わせてください」と言われたらどうするか、私なら走って逃げる。

なので、冒頭の話に戻るが、「おしあわせに」と伝えてもなんら問題のない機会を貰えたことが、とても嬉しかったのだ。

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17/04の日記

「楽しかったことだけを書く」この日記もめでたく4ヶ月目に突入した。
こんなに日記が続くのは人生で初めてだ。
幾つになっても、できることが増えるのは楽しい。

4/1
大森靖子ちゃんワンマンライブ「大森靖子の京都旅行」に行く。

4/2
泥のように眠る。
昼寝はいくらでもできるのに夜眠るのは下手くそだ。

4/3
久しぶりに夕ご飯を自分で作る。
キャベツと鶏むねの味噌炒め。とても美味しい。

4/4
へそのゴマを深追いしたらへそが真っ赤になったしお腹も痛くなったが、狙っていたへそのゴマを取ることに成功した。嬉しい。

4/5
剥げかけていたマニキュアを落とす。
身なりに気を使っており、偉い。

4/6
カレーを作る。ジャワカレー、辛い。
カレーの具はいつも気まま、ソーセージとオクラとエリンギ。

4/7
キャベツのトマトシチューを作る。
キャベツとトマト缶とタマネギとニンニクと鳥肉を、ひたすら煮込むだけの料理だが、とんでもなく美味しかった。
私は私のことがあまり好きではないが、私の食べたい味の食べ物を作ってくれるところは好きだ。
ローリエと、ドライのミックスハーブをブチ込んだのも良かった。
かつては「ミックスハーブは甘え」と思っていたが、そんなに毎日使うわけでもないのにとりどりのハーブを揃えて香りを飛ばしてしまうより、ミックスハーブをせっせと使う方が私には向いていることにやっと気づいた。
いろんなものにもっと甘えていきたい。

4/8
朝イチでイケてるパン屋さんに行く。
土曜の朝という感じだ。
検査を受ける。暗算ができない。

4/9
近所の大きな公園にお花見がてら散歩へ。
引越ししたときは公園のことは特に意識していなかったが、たまに散歩に行くたびに「こんなに大きな公園が近所にあるのはよいなあ」と思う。
地元にいた頃は「自然?山でも登る?」と思っていたが山には登らないし、便利だ。

4/10
春なのでお弁当箱を新調。とてもかわいい。

4/11
よしながふみの名作「西洋骨董洋菓子店」(アンティーク)に1話だけでてくるプロボクサー「サンダー鬼塚」の本名は「とおる」なのだけど、
「とおる」=「トール」=「北欧神話の雷神」、つまりサンダーだということに唐突に気がついた、のが数週間前。
そのことをふと思い出したので夫に話す。ややウケ。
なぜこの2017年においてそこに気がついたのかは自分でも甚だ疑問だが、なんとなく楽しい気持ち。
これがユリイカなのか、多分違う。

4/12
好きな本を読む。
どこにいるのかも知らない人が作ったものが私の手に届くのは不思議な気持ちだ。
書いてくれた人への感謝を忘れないよう、正当な対価を払うこととささやかな感想を伝えることしか出来ないが出来ることをやりたい。

4/13
じゃがりこサラダ味を食べる

4/14
コイケヤののり塩ポテトチップスを食べる

4/15
検査を受ける。
夫がイケてる洋食屋さんに連れて行ってくれる。
メンチカツやコロッケなどを食べる。
非常に手間のかかる料理なので、誰かが作ったものを食べれるのは素晴らしいことだ。

4/16
お友達とお花見に行く。
その日見た中で一番下に屍体が埋まっていそうな樹を決める。悪い癖だ。
シーズン終わりかけの桜が見れるかしらと思って向かったら、桜だけでなくチューリップが真っ盛りでとても楽しい気持ちに。
1番日の高い時間に見たものと、日が陰ってから見たものは色が全然違って見えたのも楽しい。
もし向日葵が冬に咲いたら、あんな色には見えないのかな、と思った。
次は紫陽花のシーズンに行くつもりだ。
夜は別の友人と食事。
エスプリの効いた会話、もとい意地の悪い会話をしながら肉を喰らう。
新しいクマのぬいぐるみをお迎えする。
イマジナリーフレンドやインナーチャイルドの器として扱いがちだが、クマそれぞれの個性や自我を見つけたい。

4/17
新入りのクマのぬいぐるみと対話。
うちのクマにはそれぞれ性格がある。
目つきが鋭くブイブイ言わせている赤リボンは「私が一番!」という子だ。
バンダナは不憫、よく赤リボンにボディーブローを決められている。
一番大きいふわふわの茶色リボンはぼんやりしている。
小さい子はちょろちょろしている。
新入りの白いのは、赤リボンとキャラ被り気味で、そのせいで赤いのがますます「私を見て!」と言うようになった。
全部幻聴だと思うとぞっとする。
クマは可愛い。

4/18
キノコを数種類買い込んで引き裂いて冷凍庫。
とりどりのキノコを食べることができるのでよい。

4/19
昨日、お弁当用に作ったレンコンのきんぴらが、「これだ!」という出来だったので覚書。
・スライサーでなく包丁で切る。
・切ったあと水でささっと洗う。水にさらさない。
・油少なめ砂糖少なめ醤油少なめ塩なし。
・ごま油は使わない。
スライサーで薄くして洗わず調味料多めのベチャベチャのきんぴらも大好きなのだけど、今日のきんぴらはパリッとしておりとてもよい。
お酢を入れたらパリッとするので、今度はスライサーしてさらしてお酢を入れてみよう。
レンコンのきんぴらが大好き。

4/20
帰宅後ご飯を作る。
春らしい気がしたので買ってきたしらすをゴマと一緒に炒って白いご飯に乗せる。
おいしい。

4/21
とても好きな漫画の感想を呪いのように書き綴ってお送りする。
「これからもあなたに面白いと思ってもらえるものを描きたい」というお返事をいただき、嬉しくて何度も見返す。

4/22
晴天。朝からリュックに本を詰めて外出。
自宅から二駅先の喫茶店で「東京/⚫️/diary」を読む。
読み終わったので一駅歩いたところの喫茶店に移動し、「かけがえのないマグマ」を読む。
道中では、遅咲きの桜、ハナミズキ、パンジー、ツツジなどが咲いていた。
田んぼは春らしく、一面蓮花だった。蓮花はとても好き。
家で読める本と読めない本がある。
喫茶店でお金を払って本を読むの、家で読めばいいのにと思うこともあるが、一番本を読んでいた中学生のころは図書館で読んでいたのを思い出した。
その図書館は、郷土作家のコーナーに美輪明宏の「紫の履歴書」があるところが気に入っていた。
居心地の良いソファ席に陣取って、一日中、5冊も6冊も本を読んだ。
今住んでいる都会のベッドタウンにはびっくりするほどたくさんの図書館があるけれど、気にいりのところにはまだ巡り会えていない。

4/23
「ゲイでもアイドルになれる!」をコンセプトに活動する「二丁ハロ」のリリースイベントへ。
フェスや対バンでは何度も見ているが、特定のアイドルを自主的に観に行くのはそう言えば初めてだ。
二丁ハロは、先月のキネマ倶楽部でのサクライケンタさんの企画で初めて観た。
なにかよくわからないまま号泣してしまい、CDを買ったが新幹線の時間の都合で特典会には参加できなかったので、無くさないように取っておいた特典券を持ってなんばに向かった。
サクライケンタさんが作っている音はとてもサクライサウンドで楽しい。
真似したくなるのもよくわかる振り付けも可愛い。
「二丁魁カミングアウト」に改名されるとのこと、また観に行きたいと思う。
特典会のチェキでは推しメンのきまるくんに抱き締められてとても呆然としている顔の写真が撮れた。
夜は筍ご飯と、こごみの天ぷらと、あさりとキャベツの酒蒸しを。春だ。
筍は毎年1度買うようにしているのだけど、いつまでたっても可食部がどこからなのかわからない。

4/24
職場に持参するお弁当に筍ご飯を詰める。
ご機嫌。

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ザネリのことなんか知らないよ、なんでカムパネルラ、君がいなくならなくちゃいけなかったのさ

わたしをわたしにしてくれた、わたしを東京にすいこんだすべての芸術に、
ゼロの身体でも生きてゆける魂をくれた本物の娯楽に、
そして東京以外の優しい退屈に、
全身全霊の手間と、点滅する幻の才能と、馬鹿な愛をこめて。
いつも新鮮な敬意をもって、
わたしはわたしの音楽を。そんで、それがあなただけの音楽に、
あなたすぎるあなたに変態するための融合材料と成るならば
こんな幸福は家族のようではないですか。
愛しています。本当ですよ。

2017年4月1日、「大森靖子の京都旅行」と銘打たれたワンマンライブで、大森さんはメジャー2ndアルバム「TOKYO BLACK HOLE」(以下、TBH)の解説をMCで語った。
メジャー3rdアルバム「kitixxxgaia」(2017年3月15日)、たくさんの人が大森さんについて語った「ユリイカ4月号」(2017年3月27日)が発売されたばかりのこのタイミングで、2016年3月23日発売の前作のコンセプトのうち、「TBHは山手線」にまつわる話が、私の知る限りではおそらく初めて語られた。

私の記憶にあることを、簡潔に。
相当に抽象的な話であり、MCでズザザザザッ!と述べられたことなのでこれが正確な書き起こしとは限らないことを重々承知していただきたい。
あのとき会場にいた人も「そんなこと言っとらんわ!」と思っているかもしれないので、「なんだそれ!」と思ったら大森さんではなく私に伝えて欲しい。(伝える手段は自分で探してくれ。返事するかは知らない。)

TBHとは山手線のことであり、それは輪廻で、尚且つ銀河鉄道

ぐるぐる回る丸いものには、内側に悪い気を閉じ込める意図がある、という説がある。
四国(大森さんは愛媛県出身だ)の八十八ヶ所巡礼でいうと、山脈であり人の住んでいない四国の中心に悪い気を集めている、ということ。
山手線もそれと同じという説があり、TBHとはそれを指している。

同時にTBHの輪はぐるぐる回る輪廻を示している。
回るのは銀河鉄道で、銀河鉄道から、輪廻から落っこちてしまうと、悪い気の集まった内側に入ってしまう。
(この辺りで中島みゆきさんの「夜会」の話があったのだけど、元々のものをよく知らないのでなんの話かわからなかった)

また、ぐるぐる回る輪は、タイムリープを示している。
(「YABATAN伝説」の「タイムリープで登場」はSMAP解散騒動での「木村拓哉SMAP解散させないためにタイムリープしている説」が元ネタだとどこかで言っていた気がする)
タイムリープものの話は、状況をよりよくするか、どんどん悪くなるかのどちらかだけど、元に戻る(前段、銀河鉄道から落っこちたことろから)、現状と同じものを求めるもの、元に戻ることを目指すものがあってもよいのでは。
(最高は今 最悪でも幸せでいようね、を思い出した。)

落っこちたらどうやってもとの輪に戻るのか。
八十八ヶ所巡礼では、逆回りするとせっかく集まった悪い気が拡散する。
なので、TBHでは、反対に回って、拡散する勢いでもとの輪廻に戻ることが出来る。

ここから私がこねくり回す議論の重要な点は、「わからないならわからないでいい」だ。

夜会のことは知らないし、「銀河鉄道の夜」は暫く読んでいないし、あれについては研究され尽くしているが私はそのあたりに明るくないし、なんなら私が好きなのは宮澤賢治ではなくて長野まゆみだし、長野まゆみの「カンパネルラ」だってもう随分昔に読んだので覚えていない。
手始めに「銀河鉄道の夜」でも読もうかと思ったが、「わからないならわからないでいい」に基づき、インプットを追加することなく私の手癖と持ち駒だけでこの話を進めたいと思う。
ユリイカも読まずにこんなものを書いているが、吐き出し切らないとインプットも出来ない。インプットする前の私のアウトプットを1番見たいと思っているのは私に他ならない。

まずは銀河鉄道の話をする。
銀河鉄道」と言われて思い浮かぶものはなんだろうか。
言わずもがな宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」だろうか。私は「よだかの星」と「シグナルとシグナレス」が好きだ。よだかのことを考えるといつだって辛い気持ちになる。
しかしながら前述した通り、私は「銀河鉄道の夜」から宮澤賢治その後すぐ長野まゆみまで気持ちが飛んで行ってしまう。宮澤賢治を読み始めたのも「宮澤賢治を読めば長野まゆみのことがもう少し理解できるのでは」と思ったからだった。

大森さんの言う「銀河鉄道」なら、銀杏BOYZの「銀河鉄道の夜」だろうか。
銀杏BOYZのことはよく知らない、「あいどんわなだい」と「BABY BABY」と、「もしも君が泣くなら」は銀杏?「銀河鉄道の夜」は、大森さんがゲリラカラオケで歌っていたものだけ聴いたことがある。
広島県の夏フェスにバンプオブチキンを観に行ったとき、銀杏BOYZも観た。2007年ごろだ。大森さんはあのころ銀杏BOYZを全通していたと言っていたから、もしかしたら同じ会場にいたのかもしれない。あの日峯田さんはローションで全身ヌルヌルのテラテラだったが、私はおぼこい馬鹿だったので「めっちゃ汗っかきだな」と思った。

銀河鉄道といえば「銀河鉄道999」もある。「kitixxxgaia」でも機械の体を歌った歌があるし。「銀河鉄道999」のことも「機械の体を探しに行くアニメ」という知識しかない。

なぜよく知りもしないものをいくつも並べたのかというと、「銀河鉄道」という言葉からイメージするものが、きっと人によって違うだろうな、と想像したからだ。
メーテル一択だわ」という人もいれば、「銀河鉄道ってなに?北海道のローカル線?」なんて思った人も、中にはいるのかもしれない。
誰が何を思ったのかをひとつひとつ知りたいとは思わないが、発端は同じ「大森さんの口から出た『銀河鉄道』という言葉」なのに、私が思ったことだけが全てでないだろうと想像するのは楽しい。

御託を並べたが、TBH銀河鉄道のことについて。
銀河鉄道から落っこちる」といわれて即座に浮かぶのは川で行方不明になったカムパネルラのことだ。だけれど私のイメージする銀河鉄道は夜空の端から端へ飛んで行ってしまうし、落っこちるのは川だからTBHの輪、言うならば池や沼とはちょっと違うイメージだ。丸なのか、線なのかの違い。
そこはうまく消化できなかった。

TBHが輪廻であることについて。

「TOKYO BLACK HOLE」

  1. TOKYO BLACK HOLE
  2. マジックミラー
  3. 生kill the time 4 you、、❤️
  4. 超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS
  5. 愛してる.com
  6. SHINPIN
  7. さっちゃんのセクシーカレー
  8. 劇的JOY!ビフォーアフター
  9. ■ックミー、■ックミー
  10. ドラマチック私生活
  11. 無修正ロマンティック ~延長戦~
  12. 給食当番制反対
  13. 少女漫画少年漫画

今になって俯瞰すると、「私生活」とあるように、ごく個人的な出来事が綴られているように思う。
愛してる.com、さっちゃんのセクシーカレー、給食当番制反対、知らない誰かの日記を読んでいるようだ。
「kitixxxgaia」では「神」というマクロなテーマもあれば「JI・MO・TO」というミクロなテーマもあり視点が
入り組んでいるから余計にそう思うのかもしれないが、TBHの曲たちは「生活」という感じがする。
ここで大森さんは「輪廻から落っこちる」と言っていたが、「給食当番制反対」や「少女漫画少年漫画」から、生まれ変わりの輪廻転生ではなく、ライフステージの輪から溢れることを想像した。
引きこもってみたり、無職になって社会から断絶してみたり、私は最近元同級生のLINEグループに招待されてそっと非表示にしてみたが、それもそのひとつだと思う。
進学や結婚や出産のような、「みんながみんな重ねる」と思っている人が少なくない行程に乗らないと、それだけで異質だと弾かれるような世界、つまり私の地元。
そこに戻ることを目指しているのではなく、そこから爪弾かれたって生きているものは生きているのだと、そういうことかな、と思った。

「ぐるぐる回って悪い気を閉じ込める」ことについては、「そうかそういうものなのか」と思ったので深く考えることは特にない。
が、「東京というブラックホール」から思い出したのは、「わたしを東京にすいこんだすべての芸術に、」という言葉だ。
このふたつをこのまま重ねると、ぐるぐる回って集まったもの、イメージは円錐形の蟻地獄だが、その中心にある吸引力の根源は「すべての芸術」ということになる。
穏やかではない話だ。
私は東京にも芸術にも吸い込まれたことがないのでわからない。

「わからないものはわからなくてもいい」の話。
「kitixxxgaia」

  1. ドグマ・マグマ feat.fox capture plan
  2. 非国民的ヒーロー feat.の子(神聖かまってちゃん)
  3. IDOL SONG
  4. JI・MO・TOの顔かわいいトモダチ
  5. 勹”ッと<るSUMMER feat.あの(ゆるめるモ!)
  6. 地球最後のふたり feat.DAOKO
  7. ピンクメトセラ
  8. POSITIVE STRESS
  9. 夢幻クライマックス (かもめ教室編)
  10. オリオン座
  11. コミュニケイション・バリア
  12. 君に届くな (kitixxxgaia ver.)
  13. アナログシンコペーション

「集合の図」と言われてピンとくるだろうか。私は「ああ、ベン図ね」と思ったが、そんなものすっかり忘れている人もいれば、まだ習ってない人もいれば、高校数学Aを履修しない人もいるだろう。
大森さんと、大森さんの曲を聴く私やあなたの「わかる!」の重なり。
「kitixxxgaia」は、最初と最後、それからあと「ただそこにある曲」である「オリオン座」を除いて「わかる/わからない」「共感できる/出来ない」「身に覚えがある/ない」の踏み絵のような曲だと先日大森さんは述べていた。多分。
私が踏み絵を踏めたり踏めなかったりしたことはここに綴られている。

  • (わからない)勹”ッと<ることがひとつもない夏への呪い

全部どうでもよくて全部大事だったのに、なかったことにしたのは私だった - 白昼夢、或いは全部勘違い

  • (わかる)有り余るほど抱えた白昼夢のような好意の話

「君に届くな」としか言い表しようのない気持ちのこと - 白昼夢、或いは全部勘違い

  • (わかる)ワンルームの地獄で暮らしていた日々のこと

ワンルームをぶち抜いたあとに待ち合わせはもうないけどまた会おうね - 白昼夢、或いは全部勘違い

  • (痛いほどわかる)踏み絵を踏んだり地元の友達と遊んだりしたこと

踏み絵としての大森靖子とJI・MO・TOの顔かわいいトモダチ - 白昼夢、或いは全部勘違い

アルバムが発売される前から自主的に踏み絵しまくっている自分に少し笑ってしまった。
ベン図がぴったり重なる人もいればそうでない人もいるだろう。
それはそれでいいのだと。
あなたがあなたとして、大森さんの音楽を受け取ること、それはそれだけのことだ。
わからないなら死ねばいい2017 - 白昼夢、或いは全部勘違い

調べ尽くしたいなら調べ尽くせばいいし、私のように書き散らかしたいなら書き散らかせばよくて、ただ言えるのはどれが1番適切かなんてことはないのだろうということだ。

各々、手グセと手駒で、入れたければ充分なインプットを加え、何かしら吐きたければま吐けばいいし、そうでないなら何もしないでいい。
私の手グセはこの辺でおしまいだ。

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夏が嫌い2017

夏が大嫌いだ。
暑いとか湿気が凄いとか太陽がギラついてるとかレジャーとかそういうことはどうでもいい。
とにかくただひたすらに夏が大嫌いだ。

夏の夜は魘されて目が覚める。
繰り返し繰り返し、「お前は要らない」と言われた日のことを夢に見る。

冬は寒い。
冬が寒いということは夏が暑いということだな、と夏のことを考える。

春になるのが怖い。
春めいてきたらもうすくやってくる夏の陰に怯えている。

夏は大嫌い。

秋は夏に疲弊した抜け殻のようにして過ごす。
気付いたら少しずつ寒くなっていて、ああ、また冬が終わって春が終わったら夏が来るんだろうな、と思う。

夏、夏、夏、私は一年中夏のことを考えている。
うんと高い入道雲、暴力的に光る海、遠くから聞こえるトンビの鳴き声、びっくりするほど涼しい木陰、逃げ場のない砂浜、なんだって好きなのに。

今年はもうすっかり春だというのにあまり夏が恐ろしくない。
コブシの花が咲くこと、長い間気がつかなかった。

少しずつこうやって夏のことを忘れていくんだろう。
けれど私が夏のことをすっかり忘れてしまったって、私が夏を憎い憎いと思ったことはなくならないのだ。

夏が嫌いだ。
明日起きたら秋になっていればいいのに。

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すぐtwitterブロックするけどみんな気にすんなよ

twitterのアカウントに鍵をかけた。

半年に1回くらいの頻度で、30人〜150人くらいの人を一気にブロックして解除している。

深い理由はない。
強いて言うならなんとなく憂鬱だった。

基準も深くはない。
よく知らない人だったら、その人がフォローしている人の中に嫌いな人や嫌いなミュージシャンがいたとか、そもそもよく知らないとか、そういう取るに足らない軽薄な理由。
あと鍵アカだとか。

本当に、その程度だ。
あなたが私のアカウントをフォローした程度の気軽さで、私はあなたの(私がそれを「あなた」と認識してはいないだろうし、その時はきっとあなたも私を「私」と認識していないだろう)アカウントをポチッとブロックしてポチッと解除した。

「自分に非があったのか?」と思い悩むようなことも、言うならば理不尽な、自分にはどうにもできないことが原因であることは、容易にあり得るのだと、私は自分の言動から学んだ。

なので、もし万が一最近私にブロックされて真面目に気に病んでいる人がこれを読んでいたら、多分あなたは悪くないので私のことなんか早く忘れてくれ。

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